鎌倉殿の13人…第26話 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

第26話がだいぶ昔の話のようで、

すでに頭は後半戦の第27話になっています💦


第26話 「悲しむ前に」


武家の頭領の落馬。

頼朝の命と共に、鎌倉殿の権威が

消え去ろうとしている。

主人を振り捨て、鎌倉が暴れ始める。



「頼朝の落馬」は落馬が一因ではなるものの、

落馬に至る経緯を頼時は推理しているけれど、噂として武士が

「落馬して亡くなるとは…」となっています。


前回で水を欲しがっていて「糖尿病」ではないかといっていた

ことを踏まえています。

精神錯乱(眠れない)ということも糖尿だったということかも

しれませんね。


「草燃える」では頼朝が意識不明になった後に

口移しで水を上げて頼朝の「死」を確信していました。

三谷さんは懸命な看病をして「死」んでいなくって

ただ眠っているのだと言い続けています。


義時は政子には「大丈夫」といっている割には

頼朝の死後のことで頭はいっぱいです。

八田知家が火葬の準備の相談をしているときに

非情にも聞こえる言い方「燃え残っては困るのだ」と

頼朝の枕元で言っています。

それを聞いていた比奈はどう感じたでしょうか?


全成も時政から時期将軍へと推挙されてその気になって

いて髪も伸ばしているし、

その後は頼朝を挟んで義時と比奈は全成ではダメなのか

話しあっているし、今から思うと

悲しんでいる前に鎌倉をこれからどうするのか?

ということで大変だということがわかります。


政子だけでも頼朝のことを見ていてあげて良かった

と思えてきました。


再放送を「海の日」の連休で観ました。

聞き取れないと困るので、義母は「字幕」を使って

視ているんです。


時政と義澄と時連が「水垢離」を八幡宮に行った時に

三浦義澄が歯を鳴らしながら何を言っているのか

わからなかったのですが、その時に字幕でやっとわかりました。


「私は館へ帰ります」と言っていたのですね。


やっと疑問が解けて「字幕」に助けられました。


「鎌倉殿」とは何か?


「朝廷より日本国総守護に任じられた者の事」

頼家を速やかにその任を朝廷に認めてもらわなけえれば

ならないのです。


「生前出家」色々な資料にありましたが、

亡くなる前に生前出家をしたとありますが、三日後とか

数日前に自分の命の限りを知っているものだと思っていましたが

本人ではなく家族のものが極楽往生のために

してあげるということもあったのだと実感しました。



やはりここで落ち込んでいる義時に

三浦義村は「頼朝死ぬんだってな」と声をかけてきました。

あいかわらずですが、正直なことを言っています。

みんな今は御台所の前では言わないだけで、

それ以上の事をしています。

とうとう三浦も権力闘争の渦中に入ってきました。


そして頼朝の最後です。


政子が持ってきていた初めての出会いの時の




グミと桑の実です。


私も今年はこの両方の実をたべました。




桑の実は結構大量に手に入ったので




※ジャムにしました。






珍しい実があると素朴な味なものを

たべたくなってじうのです。

でも、ちょっと禁断の砂糖の味を知ってしまって

いるので、物足りないというのが現実ですね。


「これはなんですか?」二枚目ですね💦


最後に政子の願いを叶えてあげたのですね。


でも、この実を私は6月に食べたので、

冬にはないですかね。


「これはなんですか?」


大泉洋頼朝の最後の言葉でした。





頼朝の墓は正治元年(1199年)に53歳で没すると、自身の持仏堂

に葬られ、法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰されました。

後に法華堂は廃絶しましたがこの丘の上一帶がその跡です。



と書いてありました。










頼朝が53歳で亡くなったと言われていて、

階段が53段あり、そこを上ると法華堂跡という空き地があります。

そこに墳墓堂として建てられていた御堂がお墓でした。

その隣には義時のもあったそうです。

しかし、17世紀初頭まではあったものの、それ以降はなくなり

安永8年に薩摩藩主島津重豪によって整備されたそうです。


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頼朝亡き後、退こうとしていた義時も政子の要望でやはり

それはできなかったですね。


生前出家した時に髻から出てきた観音様を渡しました。



この「髻観音」様の言い伝えは…


私が鎌倉に行った時(2020年1月)に鎌倉時代の将軍御所跡地

(大倉幕府)に立地している小学校の看板によると👇















さて、いよいよ鎌倉が鎌倉殿の13人達を囲む闘争が待っています。