ドラマってわかっているけれど、
始まって前半だけれども、セリフの一言だけで
済まされていることが多すぎて、
こんな事もあったのに〜と
言いたい事だらけ💦💦
「しとどの窟」に避難中には
「土肥実平の女房」が農民に変装して
食糧を運び周囲の動静を知らせたと言われて
います。
それでも食料は足りなかったの
だろうし、
また、劇中では土肥実平が自害の作法を
教えている間に、安達盛長が
「敵の姿はありませんが
安心できません、
『箱根権現を』頼りましょう」
と言っていました。
政子、りくが行っているのは、
「伊豆山権現」なんですよね。
武田信義のところから帰るときに敵方に
襲われ、「心が折れた」といって時政は
「伊豆山権現にいって…」と
弱気になっていました。
伊豆山権現にいる政子、りく、みいの3人では
時政にとっての今のりくさんは
「心の拠り所っていうところなんですかね。」
箱根権現は、
安達盛長の言うことには「しとどの窟」
から北西に25里ということで、
「25里⤵︎」と頼朝はため息混じりに
つぶやいていましたが、
鎌倉時代の一里については、
500m前後と言われているので、
12.5kmではないかと思います。
各地域の差があると思うけれど、
私が最初思ってしまった
1里=4kmではないとわかり安心💦💦
25×4=100km❓
ではなかったから良かった💦
こんな整理されている訳ではないし
もっと険しいだろうし
結局、頼朝は箱根権現にいっていて
どの辺りまでからはわからないけれど、
箱根権現別当の行実の弟、永実というものが
食べ物を献上しているようです。
行実、永実の父 良尋は
源為義、義朝(頼朝の祖父、父)の代からの
恩義があってのことだそうです。
そのお陰をもって行実は
箱根権現の別当となり、
頼朝が伊豆へ流された後も祈祷をしてあげて
いたそうです。
しかし、行実、永実とは母親違いの弟
智蔵坊良暹(ちぞうぼう りょうぜん)は
山木兼高の祈祷師をしていたこともあり、
この良暹が頼朝を襲いにくるという情報をきいて
長居をせずにまた彷徨った⁈
その後、義時と再会した時に
無駄足だった💦と言ってはいたけれど、
8月17日 山木館襲撃
8月23日 石橋山の戦い
8月25日 永実の館(箱根権現)
(8月26日 衣笠城の戦い)
8月28日 真鶴発港
8月29日 安房着港
☝️な感じだったみたいなんですが、
なんせ夏ですからね。
暑かっただろうに。バテバテな
頼朝さんでした。