”””鎌倉殿の13人…6話 ② | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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ドラマってわかっているけれど、

始まって前半だけれども、セリフの一言だけで

済まされていることが多すぎて、

こんな事もあったのに〜と

言いたい事だらけ💦💦



「しとどの窟」に避難中には

「土肥実平の女房」が農民に変装して

食糧を運び周囲の動静を知らせたと言われて

います。


それでも食料は足りなかったの

だろうし、

また、劇中では土肥実平が自害の作法を

教えている間に、安達盛長が

「敵の姿はありませんが

  安心できません、

   『箱根権現を』頼りましょう」


 と言っていました。


政子、りくが行っているのは、

「伊豆山権現」なんですよね。

武田信義のところから帰るときに敵方に

襲われ、「心が折れた」といって時政は

「伊豆山権現にいって…」と

弱気になっていました。

伊豆山権現にいる政子、りく、みいの3人では

時政にとっての今のりくさんは 

「心の拠り所っていうところなんですかね。」


箱根権現は、

安達盛長の言うことには「しとどの窟」

から北西に25里ということで、

「25里⤵︎」と頼朝はため息混じりに 

つぶやいていましたが、

鎌倉時代の一里については、

500m前後と言われているので、

12.5kmではないかと思います。

各地域の差があると思うけれど、

私が最初思ってしまった

1里=4kmではないとわかり安心💦💦


25×4=100km❓


ではなかったから良かった💦




こんな整理されている訳ではないし



もっと険しいだろうし


結局、頼朝は箱根権現にいっていて

どの辺りまでからはわからないけれど、

箱根権現別当の行実の弟、永実というものが

食べ物を献上しているようです。


行実、永実の父 良尋は

源為義、義朝(頼朝の祖父、父)の代からの

恩義があってのことだそうです。

そのお陰をもって行実は

箱根権現の別当となり、

頼朝が伊豆へ流された後も祈祷をしてあげて

いたそうです。


しかし、行実、永実とは母親違いの弟

智蔵坊良暹(ちぞうぼう りょうぜん)は

山木兼高の祈祷師をしていたこともあり、

この良暹が頼朝を襲いにくるという情報をきいて

長居をせずにまた彷徨った⁈


その後、義時と再会した時に

無駄足だった💦と言ってはいたけれど、




8月17日 山木館襲撃

8月23日 石橋山の戦い


8月25日 永実の館(箱根権現)

     (8月26日 衣笠城の戦い)

8月28日 真鶴発港

8月29日 安房着港


☝️な感じだったみたいなんですが、

なんせ夏ですからね。

暑かっただろうに。バテバテな

頼朝さんでした。