真実のどこかに突き刺さればくらいの軽い気持ちで書いています。
あなたがここで感じることができたものがあればそれでいいかと思います。
今回は前回の「あつめ」に続いて「あつ」を語頭に持つ「あつかひ」を取り上げます。
※ヲシテ - Wikipedia をご参照ください。
「あつかひ」(扱い)は、手厚く遇する意です。古語辞典では、丁寧に日常の世話をする。よく面倒を見る。病人を看護・介抱する。などとあります。
言霊の第一規則に照らして直訳すると、以下のようになります。
「なにものかを生きるあなたは、この世界のあまたから集めようとする処のものに、自身を天と繋ぐ処のものに毀ち開く」
また、言霊の第二規則に即して訳すると、
「なにものかを生きる天は、あなたをこの世界のあまたから集めようとする処のものに、地を天と繋ぐ処のものに毀ち開く」
となります。
「扱い」(漢字でも手偏に及ぶが付くことで表されています)というからには、じっさいに自分の手を用いて、この言霊を感じてみましょう。
この世界のあまたから集めようとするものを、自分の手を操って表現します。
そんなあなたは、この世界を操る神に代わって、この世界を操ることを許されたかのようです。
つまり、それが天と繋ぐ処のものに、あなたが生きることです。
あなたの行為が天と繋ぐ処のものに生きられている。
そして、神の代行者であるあなたは、この世界の事柄をそのままではなく、その事柄を細かに毀つと、その本質を開示させているのです。
踊りやお芝居にしてみてもいいかもしれません。
今回は、ちょっと神がかりになって書いてみました。言霊を扱っているだけに、こういうのもありかなと。
ところで、神がかるとはどのようなことであろうか。
それは、通常ではできないことができてしまうということではないだろうか。
普段の自分なら無理だということが、なぜだかできてしまう。
そんなことが、たまに起こる。
たぶん、いつもなら、そこで挫折してしまうことが、そのときは、不思議とできてしまう。
肩の力が抜けて、本来の力が発揮できたということなのではないだろうか。
逆に言えば、普段の自分は、さまざまな抑圧からがんじがらめになっていることなのであろう。
しかし、そういうがんじがらめになっている自分から解放される時というのがある。
スピリチュアルなものとは、そこにうまく誘導することなのでないかと思う。
それが、神がかるということ。
まさに、これを書いている自分は、神がかっている(笑)。
※言霊は癒やしであり、1語1語声に出してみることでその効力が発揮されます。ぜひ声に出してみてください。
理屈ではなく、あなたは、自分のうちに深い癒やしの力が得られることを感じることでしょう。
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