第14回 この世界はいかにも美しい | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

 神が創造した世界に良い悪いがあるのはおかしい。




 もしこの世界が悪いものであったら、それを創造した神は悪の存在ということになり、また良いものと悪いものとを一緒に創造する神は不完全な存在であるということになる。




 神が完全な存在ならば、この世界はみな完全な善であるはず。




 フランシスコ会の創始者、聖フランチェスコは、神が創造したこの世界は、その隅々にまで神の光が行き届いているのであり、そこには悪しきものはなく、みな善なるものであると説きました。




 あなたがこの世界に良いものと悪いものとを認めるのは、それはあなたの心性が良い悪いを判断しているだけなのです。




 そうはいっても悪いものは悪い。確かに良いものではないものは存在していると、あなたは思うでしょう。




 それがどうして捉え方の問題にするのか。それは、諦めて生きるということなのか、と疑うでしょう。




 しかし、考えてみてください。悪いことはいつも悪いばかりではありません。




 良いことであっても、それがいつも良いばかりだとは言えない。




 これ、人生万事塞翁が馬です。なにが良くてなにが悪いことなのか、分からないわけです。




 また、不幸に見舞われたとき、それまで気づかなかった人の優しさに触れることがあります。




 たとえば、震災のような大災害の体験、また戦禍といった過酷な状況が、それまで関わりあわなかった人たちを結びつけたりする。




 つまり、それだけを見るなら悪いことが、それをきっかけにして、わたしたちが気づかなかった善に気づかされるのです。




 それは発明に似ています。不自由に感じていたことが、発想をかえ、知恵と工夫を凝らすことで、よりよい暮らしのヒントに繋がったりするのです。





 どんな悪いことも、見方を変えることで、たんに悪いことではなくなる。良いことのきっかけになる。




 あなたは、創造主と同じ場所に立って、この世界をみな良いものとすることができるのです。




 一見悪いものに見えるものでも、良いものに変えることができる。




 不幸は必ずしも悪いばかりではない。




 飛び出したくなるような厳しい状況が、幾世代にも愛される名作を生み出すことがあるのです。








 同様に、神の光に照らし出された世界は、あなたの光に映じられた世界でもあります。




 この世界は、あなたの意思の投影なのです。




 あなたは、どのようにもこの世界を生きることができます。




 つまり、今あなたがこの世界をこのようなものだと考えて、生きているわけですが、それをそっくり変えることもできるのです。




 あなたは、あなたが生きる世界の創造者なのですから。




 そして、あなたが創造したこの世界はみな本質的に良いものです。そこに悪いものは一切存在しません。




 もし、悪いものがあるとしたら、創造者のあなたがそれにすぐ気がつかないはずはない。




 自分が創造した世界が善ではなかったら、それは、あなた自身の善性を自ら否定することになります。




 自分の悪いところに気がついたら、あなたは、あなた自身の完全性のために、ただちに正すことでしょう。(自分を過ちのない存在とみなすこととは意味が違います。過ちを見つけたら、すぐに正してください)




 このように、あなたは、神が善なるものとして創造した世界から生かされているように、あなたもまた、善なるものとしてこの世界を創造しているのです。



 

 このことを、このように表したいと思います。




 世界から、より善なるものに息づかせられているあなたは、自らもまた、あなたが生きる世界を、より善なる世界自身であるものに息づかせることができます。




 それは、善なる世界(の創造主)があなたの血となり、あなたのからだの隅々にまで、より善なるもので息づかせているように、善なるあなたもまた、世界(の創造主)の血となり、世界(の創造主)の隈なくまで、より善なるもので息づかせる、世界(の創造主)の創造者だからです。




 世界から、より善なるものに導かれ、育まれているあなたは、自らもまた、あなたが生きる世界を、より善なる世界自身であるものに導き、育むことができます。




 それは、善なる世界(の創造主)があなたの胸(魂)となり、あなたの耳(心)の隅々にまで、より善なるもので導かれ、育まれているように、善なるあなたもまた、世界(の創造主)の胸(魂)となり、世界(の創造主)の隈なくまで、より善なるもので導き、育む、世界(の創造主)の創造者だからです。




 世界から、より善なるものに在らされ、創造させられているあなたは、自らもまた、あなたが生きる世界を、より善なる世界自身であるものに在らせ、創造することができます。




 それは、善なる世界(の創造主)があなたの腕(手、創造者)となり、あなたの脚(足、被造物)の隅々にまで、より善なるもので在らせ、創造しているように、善なるあなたもまた、世界(の創造主)の腕(手、創造者)となり、世界(の創造主)の隈なくまで、より善なるもので在らせ、創造する、世界(の創造主)の創造者だからです。




 世界から、より善なるものに満ち足らされているあなたは、自らもまた、あなたが生きる世界を、より善なる世界自身であるものに満ち足らせることができます。




 それは、善なる世界(の創造主)があなたの内腑(中身)となり、あなたの肩(器)の隅々にまで、より善なるもので満ち足らせているように、善なるあなたもまた、世界(の創造主)の内腑(中身)となり、世界(の創造主)の隈なくまで、より善なるもので満ち足らせる、世界(の創造主)の創造者だからです。




 世界から、より善なるものに守られているあなたは、自らもまた、あなたが生きる世界を、より善なる世界自身であるものに守ることができます。




 それは、善なる世界(の創造主)があなたの皮膚(防具)となり、あなたの背(無防備なからだ)の隅々にまで、より善なるもので守っているように、善なるあなたもまた、世界(の創造主)の皮膚(防具)となり、世界(の創造主)の隈なくまで、より善なるもので守る、世界(の創造主)の創造者だからです。




 世界から、より善なるものに支え持たれるあなたは、自らもまた、あなたが生きる世界を、より善なる世界自身であるものに支え持つことができます。




 それは、善なる世界(の創造主)があなたの骨(支柱)となり、あなたの肉身の隅々にまで、より善なるもので支え持っているように、善なるあなたもまた、世界(の創造主)の骨(支柱)となり、世界(の創造主)の隈なくまで、より善なるもので支え持つ、世界(の創造主)の創造者だからです。




 世界から、より善なるものに味わわれているあなたは、自らもまた、あなたが生きる世界を、より善なる世界自身であるものに味わうことができます。




 それは、善なる世界(の創造主)があなたの舌(評価者)となり、あなたの目(知)の隅々にまで、より善なるもので味わっているように、善なるあなたもまた、世界(の創造主)の舌となり、世界(の創造主)の隈なくまで、より善なるもので味わう、世界(の創造主)の創造者だからです。




 あなたは、あなたが思うように、あなたが生きる世界を生きることができるのです。




 そして、あなたが思うように、あなたが生きる世界を生きられたとき、あなたは、あなたが生きた時間を含めて、あなたが生きた世界がとても素晴らしかったと感じることでしょう。




 「ああ、この世界は、いかにも美しい。」




 それは、あなたの末期の声です。




 あなたが死ぬとき、あなたが生きた時間と場所をとても貴く感じることでしょう。




 この世界はいかにも美しい。




 それは、この世界が、神の、または、あなた自身の光で満ち溢れているからです。




 

 以上で各論は終わりです。




 これからは、これら14回が意味するものについて、述べていきたいと思います。




 実は、14回は、14段階を意味しています。




 最初の回が第1段階。それから徐々に上がっていって、最後は14段階でおしまいです。




 もしかしたら、あなたは、このうちのどれかについて、自分に大いに当てはまると感じているかもしれません。




 しかし、この自己の内面の探究は、どこか一つでも外すことはできません。




 どこか一つにだけ自分があるとしたら、偏っているかもしれない。




 ただ、それは感じ方の問題です。




 じつは、あなたがまだ他の段階に気がついていないだけかもしれない。




 しかし、気がついていないことも、また問題です。




 気がつかず、偏って生きているとしたら、あなたは、自分自身を深めきらずに生きている可能性があります。




 あなたの自己内面の探究のお手伝いをさせていただけたらと思っています。




 信念であるものは、それ自体あなたを支える素晴らしいものですが、偏った信念は、あなたを誤った方向に導く可能性があります。




 第15回以降は、あなたの信念の用い方について述べていきたいと考えます。




 ただ、すでにお知らせしていますが、引越しの用意等のため、このブログはしばらく、かなり間隔を置きながらの更新となると思います。




 状況によっては、次のブログ更新が1ヶ月後ということもありえますので、どうぞご容赦ください。




 では、あなたとの再会を楽しみにしています。








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