第15回 真実であることと、正しいということとは別である | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

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世界とは、貴方について書かれた書物である。

 大変お久しぶりです。およそ3週間ぶりになるかと思います。




 まだ引越しのほうは終っていず、というか、これからという感じです。




 自分が住んでいる東京は、40何年ぶりかの大雪ということで、その大雪の中を何時間も彷徨していました。どんなことをしていたかは秘密です。




 さて、今回のテーマは、「真実であることと、正しいということとは別である」ということを述べたいと思います。




 これまで14回にわたって述べてきたことは、個人のレベルにおける真実のようなものでした。




 それらは個々においては真実と言えるものですが、善と呼べるものではありません。



 

 あえて言うなら、個々の真実に従うことにおいてのみ善と言えるものです。




 想いだすのはイエスが、それまでのやり方に従わないことを問われて、それまで言われてきたことを成就するためである、と答えたことです。




 個々においては真実であると言えるかもしれない。また、正しいと言えるかもしれない。




 しかし、それらはいまだ真実を語りつくしていないし、また善でもない。




 善は、個々の真実を越えて、人類全体にわたる普遍的な真実に基づくものでなくてはないのです。




 というのは、善とは、固有の自分を離れて、他者との普遍的なかかわりの形を持つものだからです。




 その意味で、これまで述べてきた個のレベルの真実をすべて備えている場合でも、いまだ善とは言い切れません。




 つまり、これからあなたは、あなたの隣人とのかかわりの中に真実を求めなくてはならないでしょう。




 あなたの隣人とのかかわりを通して、あなたは、あなたの善を生きることになるのです。




 次回からは、あなたの固有の真実を批判し、隣人とのかかわりの中にあなたが生きるべき善を描いていくことになるでしょう。








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