他者から生きられている自分とは、他者から必要とされている自分です。
それは、あなたの存在が認められているということでもあります。
あなたは、他者にとってなくてはならない欠かせない存在なのです。
それは、あなたにとっての他者についても言えることです。
あなたにとっての他者もまた、あなたにとって欠かせない存在です。
つまり、あなたとあなたの他者とは、互いを必要としている存在どうし。
それは、互いがよりよく生き合うために結ばれあっているという、普遍的関係です。
中世のドゥンス・スコトゥスは、普遍が存在するか否かを争った普遍論争の、普遍があると主張する側に立った神学者です。
彼は、互いを結び付けている神の普遍的な愛を説いたのです。
ここでは、神の愛とはあえていわず、普遍的愛ということを通したいと思います。
あなたと、あなたの他者とは、普遍的な愛によって結ばれることで、互いをよりよく生き合う存在どうしとなっているのです。
もし普遍的な愛が存在せず、その愛が相対的なものだとしたら、それは、信じる対象とはならないのかもしれません。
愛が信じるに値するものであるために、それは永遠で絶対の、普遍的存在である必要があるのでしょう。
普遍的な愛がいかに互いがよりよく生き合うことにとても重要な要素であるかを、私は次のように表現したいと思います。
あなたは、あなたの隣人から、より強くあなたであるものに息づかせられます。
それは、あなたとあなたの隣人とを強く結びつける普遍的な愛が、あなたの血であるものとして、あなたの隣人を通して、あなたのからだであるものを、隅々までよりあなたであるもので息づかせるからです。
あなたは、あなたの隣人から、より高くあなたであるものに導かれ、育まれます。
それは、あなたとあなたの隣人とを高く結びつける普遍的な愛が、あなたの胸であるものとして、あなたの隣人を通して、あなたの耳であるものを、隅々までよりあなたであるもので導き、育むからです。
あなたは、あなたの隣人から、より限りなくあなたであるものに在らされ、創造されます。
それは、あなたとあなたの隣人とを限りなく結びつける普遍的な愛が、あなたの腕(手、創造主)であるものとして、あなたの隣人を通して、あなたの脚(足、被造物)であるものを、隅々までよりあなたであるもので在らせ、創造するからです。
あなたは、あなたの隣人から、より豊かにあなたであるものに満ち足らされます。
それは、あなたとあなたの隣人とを深く豊かに結びつける普遍的な愛が、あなたの内腑(中身)であるものとして、あなたの隣人を通して、あなたの肩(器)であるものを、隅々までよりあなたであるもので満ち足らせるからです。
あなたは、あなたの隣人から、より堅くあなたであるものに守られます。
それは、あなたとあなたの隣人とを堅く結びつける普遍的な愛が、あなたの皮膚(防備)であるものとして、あなたの隣人を通して、あなたの背(無防備な自分)であるものを、隅々までよりあなたであるもので守るからです。
あなたは、あなたの隣人から、より一にあなたであるものに支え持たれます。
それは、あなたとあなたの隣人とを一に結びつける普遍的な愛が、あなたの骨(支柱)であるものとして、あなたの隣人を通して、あなたの肉身であるものを、隅々までよりあなたであるもので支え持つからです。
あなたは、あなたの隣人から、よりあまねくあなたであるものに味わわれます。
それは、あなたとあなたの隣人とをあまねく結びつける普遍的な愛が、あなたの舌であるものとして、あなたの隣人を通して、あなたの目であるものを、隅々までよりあなたであるもので味わうからです。
あなたとあなたの隣人とは、互いがよりよく生き合われるように、普遍的な愛で結ばれているのです。
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このブログを読まれているあなたと、わたしもまた、普遍的な愛(縁)で結ばれているのです。
あなたと出会えたことに感謝します。
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