中世ヨーロッパのカロリング・ルネサンス期と呼ばれる時期に活躍したエリウゲナは、自然を四つに分類したことで知られています。
それは、創造されず創造する自然、創造され創造する自然、創造され創造しない自然、そして創造されず創造もしない自然、です。
このうち、創造され創造する自然と、創造され創造しない自然は、被造物のことで、これに対して、創造されず創造する自然と、創造されず創造しない自然とは、創造主のことを指しています。
わたしたち人間について考えると、自ら創造されたものであるが、同時になにかを創造する存在だということに気がつくでしょう。
神と人間とが異なるのは、わたしたち人間が自ら創造したものではなく、創造されたものであるというのに対して、神は自ら創造したものであるということです。
自分を創造しないわたしたち人間と、自らを創造する神。
わたしたち被造物は、自分の意思では存在しない。
いってみれば、それは創造主の意思によって創造させられたのです。
自分の創造ということでは、わたしたちは木偶人形と言えるでしょう。
ただ生きるという意思だけがあって、この世に生まれたという意思を持っていないのです。
つまり、わたしたちの存在というのは、もうそれだけで他者の意思によるものだということなのです。
自分としてあるのは、生き続けることです。
もっとも、この自分の意思もまた、本当にあるものかどうか。じつは与えられたものではないか、という疑念も沸いてきます。
ここであなたは気がつくことでしょう。
自分のことを考えるとは、自分にとっての他者を考えることである、と。
また、自分とは他者から創られたものである、と。
あなたは、否応なく、他者を考えざるを得ないのです。
そして、自分を生きるとは、他者を生きることであり、他者を生きることを通して、自分を生きるものであるという結論に行き着くでしょう。
このことをまた、身体の神秘の調べ(ムジカ・フマーナ)に合わせて、あなたに語り掛けたいと思います。
あなたは、あなた自身ではなく、あなたの他者であるものを通して、よりあなたであるものに息づかせられます。
あなたのからだであるものは、あなたの他者であるものを、あなたの血であるものにすることで、より強くあなたであるものに息づかせられるのです。
あなたは、あなた自身ではなく、あなたの他者であるものを通して、よりあなたであるものに導かれ、育まれます。
あなたの耳であるものは、あなたの他者であるものを、あなたの胸であるものにすることで、より高くあなたであるものに導かれ、育まれるのです。
あなたは、あなた自身ではなく、あなたの他者であるものを通して、よりあなたであるものに在らせ、創造させられます。
あなたの脚(足、被造物)であるものは、あなたの他者であるものを、あなたの腕(手、創造主)であるものにすることで、より限りなくあなたであるものに在らされ、創造させられるのです。
あなたは、あなた自身ではなく、あなたの他者であるものを通して、よりあなたであるものに満ち足らされます。
あなたの肩(器)であるものは、あなたの他者であるものを、あなたの内腑(中身)であるものにすることで、より豊かくあなたであるものに満ち足らされるのです。
あなたは、あなた自身ではなく、あなたの他者であるものを通して、よりあなたであるものに守られます。
あなたの背であるものは、あなたの他者であるものを、あなたの皮膚であるものにすることで、より堅固にあなたであるものに守られるのです。
あなたは、あなた自身ではなく、あなたの他者であるものを通して、よりあなたであるものに支え持たれます。
あなたの肉身であるものは、あなたの他者であるものを、あなたの骨(依拠するもの)であるものにすることで、よりあなたであるものに支え持たれるのです。
あなたは、あなた自身ではなく、あなたの他者であるものを通して、よりあなたであるものに味わわれます。
あなたの目であるものは、あなたの他者であるものを、あなたの舌であるものにすることで、よりあなたであるものに味わわれるのです。
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