怒りについての哲学 | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

 最近、怒りについて考えることがある。




 怒りは、自分が否としていることを、他人がしたときに起こるものだ。




 そのとき、あなたは、同じように怒りをもたないことだ。




 その怒りは、その人が怒りをもつような状況に置かれているからと考えよう。




 もし自分がそのような状況に置かれていたら、同じように怒りを持ったかもしれないと思うことだ。




 同じように、相手も、自分と同じ状況だったら、同じように感じていたかもしれないと想像する。




 もしかしたら、怒っている相手と、自分とは、もっとよい条件の下で出会っていたら、信頼を寄せ合う関係になっていたのではなかろうか。




 また違った見方でいうなら、自分の怒りに囚われること、それは、自分を超えて自分を生きるもののみに囚われている考えである。




 そして、互いが対等なものどうしの絆で結ばれているという地平に立って、互いを理解するように努めよう。




 そうすれば、この地上に、争いごとはなくなるだろう。




※メモのつもりで書いたけど、このままブログにアップします。昨夜は午前零時を回って帰宅。明日もブログが書けるかどうか微妙なところですが、このように、メモのようなものでもできれば、アップしたいと思います。