どんな考えにもとらわれぬ、あるがままの自分を生きる。
それが、存在の根底であるものから生きられることである。
なにかの考えにとらわれては、存在の根底であるものから生きられなくなる。
小説の主人公は、心の飢えを強く感じている自分をあるがままに生きようと欲する。
今ある自分こそ、自分が生きるべき自分自身なのだと確信する。
そうして自分自身を見据えたとき、飢え渇いている自分を見出す。
この飢え渇いているということには意味があるということに気がつく。
まさに今、飢え渇いている自分こそ、生きられるべき自分自身である。
飢え渇いているあるがままの自分を生きる。それが、自分を生きるということなのである。
なにものにもとらわれない、とは、どんな考えにもとらわれない、ということである。
けっして、こだわりを持たない、無垢な自分になるという意味ではない。
なにかにこだわりを持っている自分が、唯一の存在の根底から生きられている自分だということである。
あなたは、あなたの相手に飢え渇いている自分自身を受け入れてもらいたいと強く切望する。
「会ってください。駄目駄目なわたしをどうか、丸ごと受け止めてくださいますか。」
自分の気持ちに素直に、大胆に行動しようと思ったのであった。
※中世末期の神学者ウィリアム・オブ・オッカムは、われわれは普遍的なものを知りえず、ただ神とのあるがままのかかわりだけを生きるべきことを説いた。
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