ほぼ一週間ぶりにお送りする、メルロ・ポンティの身体の現象学からインスピレーションを受けて綴るシリーズの第三回目のテーマは、「在る足と作る手」です。
貴方が自分の存在を感じる方法とはなんでしょうか。
いろいろ考えられるかもしれません。
それらの中でもっとも象徴的なのが、貴方の足によってであろうと思われます。
貴方は、大地に対して、自分の存在を知らしめます、貴方の足によって。
大地に立つ貴方の足を通して、貴方は、自分の存在を受け取るのです。
しかし、貴方の足はさまざまな枷(かせ)をはめられています。
枷は、大地が貴方に対して与える存在性の裏返しなのです。
自由とは、この大地からの枷から、より解き放たれることを意味するでしょう。
自身がいかに大地から枷をはめられているかを意識し、いつも自身の存在を問う姿勢を、わたしは、足の思想と呼びたいと思います。
足の思想の代表的なものは、実存主義です。
ところで、貴方の足に枷をかける大地とはなんでしょうか。
それは、貴方(の足)を束縛するものであるとともに、解き放つ手です。
大地である手は、貴方を自由にも不自由にも創造するのです。
さらに大地である手は、貴方自身であったり、貴方の隣人であったり、貴方が生きられる世界であったりします。
貴方は、貴方自身である手、貴方の隣人の手、貴方が生きられる世界の手によって、自由に、また不自由に創造されているのです。
同じく、貴方もまた、貴方自身や、貴方の隣人、貴方が生きられる世界を、自由にも不自由にも創造する手を持っています。
貴方がより自由に生きられているとしたら、それは、貴方自身や、貴方の隣人や、貴方が生きられている世界から自由に創造されているからです。
また貴方がより不自由を感じているとしたら、それは、貴方自身や、貴方の隣人や、貴方が生きられている世界から不自由に創造されているからです。
このように、他者を自由に、また不自由に創造することをつねに意識している姿勢を、手の思想と呼ぼうと思います。
手の思想で代表的なのが、神です。
神は、貴方と貴方の周りのものを自由なものに、また不自由なものに創造しているのです。
貴方は、自身の存在をつねに問いかけながら、自身や他者を自由に、また不自由に創造しているのです。