互いに対等なものどうしを生き合う 第75回 オッカムその三 出来ることと出来ないことを見据える | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

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世界とは、貴方について書かれた書物である。

 今回のテーマは、「出来ることと出来ないことを見据える」です。



 貴方が生きられている範囲とは、貴方が自由に活動できる範囲ということです。



 なにが貴方には出来て、なにが出来ないのか。



 出来る理由、また出来ない理由はなにか。



 それを考えること。



 そこになにか普遍的な存在を加えない。





 それは、もう科学的態度といっていいでしょう。



 オッカムの神学では、この科学的態度の根拠として、いっさいの創造主たる神を据えるということになります。





 さて、貴方は、貴方が生きる互いに対等なものどうしの間で、貴方が「なにが出来て、なにが出来ないか」を問いかけられています。



 貴方の隣人に対して、貴方はなにが出来、なにが出来ないか。



 じつにこれこそ、貴方が考えなくてはならないことです。



 そして、それこそ、貴方が、互いに対等なものどうしを生き合うことの意味だと言っても過言ではないでしょう。


 

 よりよく生き合うことの中身とは、まさに貴方がより自分が出来ることを隣人に対してなし、より出来ないことを隣人からしてもらうということ、また、隣人のよりできないことを、貴方がしてあげるということなのです。



 そうして、よりよく生き合うことこそが、互いに対等なものどうしの絆からより生きられること、また、オッカムの神学的には、神からよりよく生きられるということになるのです。



 すなわちオッカムの神学においては、貴方が自分が出来ること、出来ないことを、互いに対等なものどうしの間で問い、かつ行うことによってのみ、限られなく神から在らされ、かつ創造される唯一の道だということです。


 それ以外の道(すなわち神にいたる普遍的なもの)はないのです。



 むろん神学ではなくとも、貴方は、互いに対等なものどうしの間で出来ること、出来ないことを問い、かつ行うことにおいてのみ、貴方の存在を限られなく生きることができるのです。