貴方の存在の根底である愛。
それは、貴方が、貴方のあるがままの自分を生きることです。
貴方は、自身と対等なものを持たない孤独な存在であるからこそ、貴方自身を超えて貴方自身を生きようとして貴方自身を損ない、
また貴方の隣人を超えて貴方の隣人を生きようとして、貴方の隣人を害しています。
貴方の存在の根底である愛は、貴方がよりよく生きようとして、貴方自身を損なわなくてもよい、
また、貴方の隣人をよりよく生きようとして、貴方の隣人を害する必要はなく、
貴方という存在が貴い存在であり、貴方の隣人もまた貴い存在であることを、貴方に語りかけます。
「貴方は、貴い存在である貴方自身を、また貴方の隣人を傷つけるようなことをしてはならない。
貴方は貴方であるがゆえに、すでに貴い存在であり、貴方の隣人もまた貴方の隣人であるがゆえに、すでに貴い存在なのである。
貴方は、貴方のあるがままを受け入れて生き、貴方の隣人のあるがままをこそ受け入れて生きるべきである。」
自分がよりよく生きるために自分自身を痛めつけたり、自分のために人を利用することは、自分を大切にしていないし、人とのかかわりを大切にしないことです。
自身と対等なものを持たない貴方であるからこそ、貴方は、貴方自身を超えて貴方自身を生きようとせず、自身と対等なものを持たない、貴き、貴方自身を生きるべきなのです。
また、同じく自身と対等なものを持たない貴方の隣人であるからこそ、貴方は、貴方の隣人を超えて貴方の隣人を生きようとせず、自身と対等なものを持たない貴方の隣人自身との貴いかかわりを生きるべきなのです。
※よりよい自分を目指してがんばるという、向上心を否定するのではありません。自分のできる範囲でがんばるということです。自分の範囲を超えて生きようとすると、無理が生じ、自分を傷つけたり、他人を害したりすることがある、ということです。ただ、青春はそういう過ちを繰り返すことがある程度許される時期かもしれません。過ちを犯すリスクを背負いながら、自分自身を突破していこうとする爆発力に満ち満ちた時期です。けれど、その時期を過ぎたら、自分を大切にし、隣人を大切にできる大人にならないといけません。それが互いに対等なものどうしが、互いをより生き合える社会のルールです。