互いに対等なものどうしを生き合う 第57回 ドゥンス・スコトゥスその六 愛から支えられた孤独 | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

 毎回大変な思いをしてこのブログを書いています。


 書くことはおおよそ決まっているのですが、それをどのように表現するかでいつも悩みます。


 毎回、なにか発見があるようにしたいと思っていますが、それが、きっと書くごとに内容が自然と深まってゆく方法なのかなと感じています。


 書きながら、自分でも気が付かなかったことに気が付くことはとても多いです。


 だから、次書くとき、どんなことが起こるのか、いつもどきどきです。


 そうやって書くことで、自分を成長させているのでしょう。


 ほかの方のブログは大いに参考にさせてもらっています。


 じつは、アメブロを始める前に、自分の考えたものを自分なりに書いたものがありました。


 けれど、それは今読み返してみても、あまり貴方には、受け入れられにくいものだったのではないかと思っています。


 アメブロの中で、このブログを読まれている貴方に向けて、自分の思索を繰り広げること、また、他の方のブログを参考にさせてもらっていることを通して、もっと貴方に受け入れられやすいものが、作られていくのではないかという確信を持つようになりました。


 このブログを読まれている方に、わたしはとても感謝の礼を述べたいと思います。


 今後も、このブログを通して、自分の思索をさらにいっそう深めていきたいと願っています。




 では、今回のテーマを始めたいと思います。


 今回のテーマ。それは、「愛が孤独を支える」です。



 かなり自分の思索の核心に入ってきたところで、正直いうと、うまくこれを書くことができるか、というところです。


 また、少々、これまでの疲れが出てきたようで、うまくまとめることができるかはわかりません。


 でも、一歩一歩の積み重ねでいけばいいのですね。


 というわけで、今回ですべてを語ろうとはせずに、その入り口あたりのところが書ければ合格ということにしたいと思っています。



 あらためて、今回のテーマについて考えたいと思います。



 貴方の存在の前提、それは、貴方が自身と対等なものを持たない存在であるということ。


 すなわち、孤独性です。


 この自身と対等なものを持たない貴方の孤独こそ、貴方を超えて貴方を生きる、貴方であるものが立ち上がってくる場所です。


 それは、貴方が互いに対等なものどうしを生き合うことを妨げてきたものは、貴方以外のどこか他の場所にあるのではなく、貴方自身から来ているということです。


 自身と対等なものを持たない貴方の孤独は、万物の創造主の孤独といってもいいかもしれません。


 貴方の中に、万物の創造主の孤独があるのです。



 万物の創造主の孤独の所持者である貴方は、万物をよりよく生きるために、被造物たる貴方の身体をどんなに損なってもいとわない。


 また、同じく被造物たる貴方の隣人を害しても構わないのです。


 けれど、そうやって、万物の主を生きようとすればするほど、貴方の心とからだとは乖離してゆくことになります。


 からだは地獄に、心は天国に、と貴方は引き裂かれてゆく。


 また、貴方は万物の創造者であるとともに、破壊者となって、貴方自身と貴方の隣人とを損ない続ける。


 これらはみな、貴方が神の孤独を生きるからです。



 しかし、もう一つの原理が貴方を生きています。


 それは、貴方が、互いに対等なものどうしを生き合う存在である、ということです。


 貴方もまた、被造物であり、その意味で、自身と対等なものを持つ存在であり、貴方は、同じ被造物どうしとして互いを生き合うことができるのです。


 対等なものどうし、とは、そういう意味です。


 同じ被造物どうし。


 世界の一部であるものどうし。



 

 貴方の存在の根底である愛とは、貴方の中の相反する二つのものを調停する力なのです。


 神の永遠の孤独を生きる貴方は、けっして満ち足りることはありません。


 なぜなら、神は完全無欠な存在であるから。


 その神と同じものとなろうとすれば、当然、永遠に貴方が満ち足りることはありません。


 貴方自身がまさに神そのものとならなければ。


 しかし、心だけは、その思い込みを生きることができるかもしれません。


 考えてみれば、宗教は、神の苦しみから貴方を心を解き放つために、神と貴方とを分かつ目的で作られたものかもしれない──あ、ちょっと先走りすぎました。


 

 貴方の存在の根底である愛は、貴方が神の永遠の孤独に陥らないように、貴方が互いに生き合うべき存在を、貴方に与えたのです。


 それは、貴方と同じく、自身と対等なものを持たない、貴方の隣人です。



 貴方が人を求めるのは、だからとても必然なのです。


 貴方が神の孤独に苦しまないために、愛が貴方の隣人を貴方に引き合わせるのです。




 さて、ここで、今回のテーマ「愛が孤独を支える」です。


 もうおおよそ、お分かりいただけたと思います。


 貴方の存在の根底である愛は、貴方が神の孤独に苦しまないように、自身と対等なものどうしを生き合わせる、ということです。


 貴方はもろくて、とても傷つきやすい存在なのです。


 貴方は一人だと、きっと破滅します。


 それは、貴方の中の孤独が、貴方を破滅に追い込むのです。


 けれど、貴方の存在の根底にある愛が、貴方を救っているのです。


 それは、貴方が互いに対等なものどうしを生き合うものであることを示すことで。


 貴方の至福は、貴方の孤独のうちにあるのではなく、貴方と同じく自身と対等なものを持たない、貴方の隣人との絆のうちにこそあるのです。




 だから、愛してください。


 貴方の隣人を。


 貴方の愛する人は、貴方を神の孤独から救ってくれる存在です。


 そして、貴方の隣人もまた、貴方を求めているのです。


 貴方の愛が、貴方の隣人を至福へと導くからです。




 なにか、まとまっているのやら、まとまっていないのやら、よく分からない文章ですが、今回はこのままにしておきたいと思います。



追記


 たぶん、こういうことを思われる方がいると思います。


 貴方は他の誰でもない、無二な存在。


 他人と比較することなどできない固有の存在である。


 他の人に合わせるのではなく、貴方固有の生を生きるべきである、と。


 なんだか、このブログで言っていることとは、反対のことを言っているような気がすると思いますが、ここで貴方に質問です。


 貴方に、貴方は貴方だから、と語りかけているのは果たして誰でしょうか。


 お分かりいただけましたね。


 貴方は貴方固有の生を生きるとともに、互いに対等なものどうしを生き合っているのです。