今回から、中世の神学者ティエリーの教説からインスパイアーされたものを7回にわたって、述べていきたいと思います。
これまで有神論的実存主義者といわれる人たちを見てきましたが、実存主義を特徴づけるのは、自身と対等なものを持たない、自己の唯一無二性でした。
それはわたしという存在の一者性とも言い換えることができると思います。
そもそも一者性というとき、それは、天地を創造した唯一神について説いたものでした。
12世紀の中ごろに活躍した、シャルトル学派のティエリーは、この神の一者性を数秘的に解き明かそうとした神学者でした。
ここでは、一者性を単一性(ウニタス)という言葉に置き換えて、彼の単一性の神学を考えたいと思います。
ティエリーは、神と世界との関係を、まず、「1×数多」という数式で表わしました。
すなわち、世界は神の表れであるから、世界の数多を通して唯一変わらぬ存在である神の単一性を見ることができ、神の単一性を通して、世界が無限に創造されるのを感じ取ることができるのです。
また、神の被造物性は、「1×1」で表現されます。
神は自分自身によって現れるのです。
なら、世界は、というと、「数多×数多」ということになります。
世界もまた、世界自身と掛け合わせて、無限に増えてゆくのです。
けれど、神と世界との決定的違いは、神がつねに自身と対等なものを持たない、1なる存在であるのに対して、世界とは、つねに自身と対等なものを持つ、数多なる存在だということです。
神はそれ自身のなにものでもないが、世界は数多であり、代替が可能な存在だということです。
つまり、神だけが実存し、それ以外の数多のものは、神によって生きられてこそ存在することができる、存在だということになります。
そう考えるならば、ティエリーを始めとして、中世の神学は総じて神の実存哲学だと考えることができるかもしれません。
また、そうだからこそ、神の部分をそのままわたしたち自身に置き換えて、わたしたち自身の実存ということを考えることが可能となるのです。
そういうわけで、ここからは、貴方と貴方の周りのものとの間の実存について考えてゆくことになります。
貴方は、自身と対等なものを持たない一なる存在です。
貴方と世界との関係は、1×世界。すなわち、世界の数多に貴方が偏在しています。
貴方は、世界の数多を隈なく眺めることを通して、一なる貴方を感じます。
世界の数多に、貴方の息遣いを感じ取ります。
それは、こんな感じです。
貴方の中に世界が息づいている──。
世界の中に、貴方が息づいている──。
もう少し進んで、今度は、貴方の隣人について考えましょう。
貴方の隣人と世界との関係もまた、1×世界。
貴方は、世界の数多の隈なくに、貴方の隣人が息づいているのを見ることができます。
また、貴方の隣人の中に、世界の数多のものが息づいているのを認める。
もっと進みましょう。
今度は、世界それ自身についてです。
世界は、世界自身ともまた、1×世界の関係です。
貴方は、一なる世界の中に、世界の数多のものが投影されているのを見出します。
また、世界の数多の中に、一なる世界(それは時に原理とか言ったりします)が含まれているのを発見するのです。
じつはもう一つ見落としてはならない場所があります。
それは、貴方のからだ。
貴方のからだと世界との関係もまた、1×世界です。
貴方は、世界の数多の隈なくに、貴方のからだであるものが息づいているのを受け止めます。
そして、貴方のからだの中に、世界の数多のものが息づいているのを受け止めるのです。
気づき、ということは、大切なことです。
なにげなく貴方の隣人と交わったり、世界を生きるとき、そこに壮大な秘密が隠されていることを感じ取る。
気づきということは、わたしたちの生に対する畏敬なのではないでしょうか。
これから後6回はどこかマジカルな展開が予想されそうです。
人生の魔術を貴方とともに見つめていきたいと思います。