今回は、有神論的実存主義者カール・ヤスパースからインスパイアされたことを書き綴りたいと思います。
ヤスパースは、神から試されるという視点から、生きるか死ぬかの限界状況が、貴方の実存する場面である、と考えました。
実存って、じっさい分かるようで分からない概念ですね。
いったいなにが実存、つまり唯一無二の自分なのだろう。
普段の貴方は、他の誰でも有りうる存在であるのではないか。
その貴方が、唯一無二の自分を生きるのは、貴方が試されるというとき、具体的には貴方が生きるか死ぬかといった切羽詰った場面においてではないか。
そのとき、自分とはどういう人間だったのかということに気が付く。
また、人生にとってなにが大切なことなのかということを知る。
人間はそういう試されるときというのがあるのです。
そこで、これまでの自分の生き方のおさらいをするのですね。
また、それは貴方が意志する場面であるとも言えます。
貴方が貴方として決定する場面。
誰も貴方自身を決定することはできない。
決定するのは貴方だということ。
その自分自身について決定する貴方こそ、貴方の実存ということなのではないか。
自分で決定したことを、貴方は変えることは出来ないのです。
それは貴方であるから。
貴方であるものが決定したことを、貴方は貴方自身として、また貴方の実存として生きるのです。
ただ、わたしは貴方に留意しておいて欲しいことがあります。
話は少し外れることになりますが。
自分の実存にしたがうことが、ほんとうに良いことなのでしょうか。
実存主義は、なによりも大切なものとして、貴方の実存を説きます。
けれど、それはうっかりすると、貴方が創造主の孤独を生きかねない危険をはらんだことなのだということを、どうか心に留めおいてほしいと思います。
貴方は自身の実存に従って生きたから正しいことだと思う。
しかし、それは、創造主の孤独を生きることとほとんど変わらないことなのです。
貴方は、正しいと思うことをする。
けれど、それは、貴方にとっては正しくても、貴方の周りのものにとって、必ずしも正しいこととは限らない、ということです。
貴方が正しいことを貫いているつもりが、気が付いてみると、貴方の周りのものを傷つけてしまっているということもあるのです。
正しいことは、人を傷つけることもある、ということを念頭に置くだけでもいいでしょう。
正しいことだと思ったら、貴方はその正しさのために傷つく人もあることを思って、行動するべきでしょう。
というより、貴方の正しさとは、もしかしたら、貴方の正しさのために傷つくかもしれない人たちのためにあるのかもしれないですね。
蓋(けだ)し、それは、真実といえるのではないでしょうか。
自分の正しさを行使するために、貴方の正しさはあるのではないのです。あるとしたら、それは偽善です。
自分の正しさのために傷つく人たちのためにこそ、貴方の正しさは行使されなければならないのです。
プロメテウス。
「多くの命たちが、自分の生死をかけたその危機的な場面で試された。
貴方がたは、自分はどういう存在なのかということと、真剣に向かい合ったのだ。
どのようにも生きることができるがゆえに、生死を分けるはざまで、どのように自分は生きたいのかということを、問われたのである。
そのとき、貴方の中に、貴方を超えて貴方を生きる、主なる貴方が入り込んだ。
そうして、こう、貴方に語りかけたのである。
『貴方は、貴方を超えて貴方を生きる本来の貴方であるものによって生きられるべき存在である。
これまでの、貴方と対等なものとの絆に基づいて生きることから分かたれて、貴方が生きられるべき、貴方を超えて貴方を生きる、貴方であるものを生きるのである。』
かくして、貴方は、貴方自身や、貴方の周りの者たちから分かたれた、貴方の生を生きるようになったのである。
生き死にをかけた人生の危機が、貴方自身や、貴方の周りの者たちから、貴方を引き離した。
貴方は、それは貴方の最も大事な自分であると思った。
けれど、貴方の実存を一途に生きる貴方は、貴方自身はともかく、貴方の隣人たちの敵になったのである。
実存を生きるということは、世界全体を敵に回す場合もあるということを、貴方の例は示しているのである。
──人生の危機を乗り越えたヒトラーが、ゲルマン民族の発展という野望の下に、人類の歴史の上に残したこと。
その一方で、世界全体を敵に回しても、愛を貫こうとする愛のあることも、貴方がたは知っている。
愛が危機的状況を生き抜こうとするとき、貴方は世界全体を敵に回すことを厭わなかったのである。
人生の危機的状況は、貴方をこれまで幾度となく、創造主たる位置まで来させてきたのであった。」