今考えていることを少しだけ貴方にお伝えします。
このブログを欠かせずお読みいただいている貴方は、おおよそ気づかれているかと思います。
わたしが考えていること、それは、ある特定の考え方にしたがって生きることを求めるということではなく、個々それぞれが自身の哲学を持つための強力なバックアップの仕組みを創造することです。
このブログで「互いに対等なものどうしの絆であるもの」と言っているのは、この個々の哲学をよりグレードアップするための仕組みであるとも言えます。
具体的には、貴方が自身の哲学を持つための思索のストーリーを通して、自身の哲学を構築してゆくということです。
そして、それは貴方一人にとどまることではなく、可能な限りの人たちとの相互連関の中で、作られてゆくことになります。
重要なことは、ここにはけっしてある特定の思想が入り込んではならない、ということです。
このシステムは完全な中立的で、平等な、教育的な配慮がなされなければなりません。
ある特定の思想を自身の哲学とするようなものであってはならないのです。
このシステムのもっとも基底的な部分は、ソクラテスの産婆術がもっともふさわしいものと考えています。
ソクラテスが哲学の祖たるゆえんは、まさにこの産婆術という方法なのです。
哲学はこの産婆術が基本である、とわたしは考えています。
本だけを頼りに論じたりするのでは、哲学とは言うには中途半端です。
そこに対論者があって、吟味が加わらなければならないのです。
対論者を通して吟味が加えられることで、自分の中の哲学的なものは、真に哲学となるのです。
さて、ここからが、今日感じたことです。
知の産婆術を提供してくれるものを今日一日探し回ったのですが、これというものに出会うことができませんでした。
わたしの目に入ってくるのは、ある考え方を述べた書物。ある考え方を批判する書物。ある考え方に基づいて、世間のさまざまなことについて述べる書物。あるいは、さまざまな考え方を比較し、特色を述べる書物でした。
わたしがほしいのは、そうした本ではありません。
わたしがほしいのは、個々の人間が自分の哲学を見つけるための学習システムです。
つまり、なにかの考えを伝える本ではなくて、なにかの考えを作り出す本です。
自分の哲学を見つける手立てとして、哲学の概念とその歴史を記した本があるのでしょうが、わたしにはそれではとても不足です。
具体的には心理テストがやっているようなことを、哲学においてもやってほしいと、わたしは考えています。
具体的な生の事例に基づいて、貴方が悩み考え、答えを求めて、のた打ち回る。
貴方がこれと思った答えに対して、かならず否定的な見解が貴方にもたらされる。
苦しみ苦しみ苦しみ抜いて、貴方は貴方だけの確固とした哲学を持つに至る。
しかし、それはけっして貴方の独善的なものではなく、互いに対等なものどうしをより生き合うためのものである──。
じつは、これは、学校で教えてもらいたい哲学的な態度だったりする。
わたしたちは、もっと哲学的態度を学ばなければならない。
というより、そもそも、わたしたちは哲学的な存在なのです。
それを自覚することができる人が、ただ哲学者と呼ぶだけのことです。
真の哲学は、わたしたちを、心の牢獄から解き放ち、さらに、互いに対等なものどうしとして、互いがよりよく生き合わせるものなのです。
貴方の、「こういう本がある」とかございましたら、ぜひ情報をお寄せください。