アンセルムスの否定の神学にちなんで、互いに対等なものどうしがいかに生き合われるべきかを論じる第二回目は、貴方に語りかける声です。
貴方に語りかける声には、貴方の内からと外からの両方があります。
まず、貴方の内からの声について考えてみましょう。
貴方はどんなに否定しようとも、貴方の内からの声を無視することはできません。
それは、貴方自身から来る声だからです。
ただ、貴方自身から来るのだけど、貴方自身を超えた存在です。
それは、貴方の中のもう一人の自分です。
貴方の中には、貴方自身と、貴方自身を客観的に見ているもうひとりの貴方がいるのです。
最初貴方自身であったが、しだいに貴方から分裂して、いつしか貴方自身を冷静に見つめるようになったのです。
貴方の中のもう一人の自分は、貴方に命じます。
今の貴方は本来の貴方ではない。貴方はもっとよりよく生きるべきだ、と。
それは、貴方の思惟、感情、すべてにわたって、貴方に語りかけます。
もし、貴方の内なる声を無視するなら、貴方は貴方自身から、とんでもない仕返しを受けることになるかもしれません。
なぜなら、誰よりも貴方自身よりも、貴方のことをよく知り尽くしているのは、貴方につねに寄り添っている、もう一人の貴方であるからです。
さらに、また、貴方には、また別の方から語りかける声があります。
それは、貴方の外から来るものです。
具体的には、互いに対等なものどうしとして互いを無視することができない、貴方と貴方の隣人の関係性です。
貴方は貴方の隣人を無視することができない。
同じように貴方の隣人も貴方を無視することはできません。
否が応でも貴方と貴方の隣人とは互いにかかわり合っているのです。
この否が応でもかかわらざるを得ない関係性が、貴方に語りかける声の主なのです。
貴方は、貴方の隣人とのかかわりの中で生きているのであって、その意味で、貴方は、貴方の隣人から来る声にしたがっているのです。
その事実を踏まえたうえで、貴方は、貴方に語りかけるものに、こう問いかけてください。
「わたしの内なるものよ。わたしはより以上のものになるべきなのだろうか。今のままではいけないのだろうか。」
「わたしの外なるものよ。わたしはより以上のものになるべきなのだろうか。今のままではいけないのだろうか。」
したがうだけでなく、問うこと。
問うことが、貴方に語りかけるものに対する、貴方の返答なのです。
なぜなら、問うこともまた、否定することができない声だからです。
語りかける言葉に対して、問う言葉があるのが自然です。
そうです。貴方は、語りかける言葉に対して、貴方の言葉で問い返さなくてはならないのです。
一方的に語りかけられる関係は、正常な関係とは言えないのです。
語りかけるものに対して問うことで、はじめて対等な関係が成立するのです。
問うことで、貴方は、貴方に語りかけるものと、本当の意味で対等となるのです。