否定できないものを論じる第三回は、貴方のかたちです。
貴方のかたちとは、貴方の生きられている姿です。
それは、貴方が作ったというよりは、貴方の隣人とのかかわりの中で作られたものです。
貴方は、貴方の隣人とのかかわりの中で作られた、貴方のかたちというものが鬱陶しいと感じることもあるでしょう。
もっとも、それは、貴方の隣人だけではなく、貴方と貴方の隣人との共同作業で作られたものなのです。
貴方一人で作ったわけでも、貴方の隣人だけで作られたわけでもない。
だから貴方が自他によって作られた自分を鬱陶しく感じ、これを捨てようとすることは、貴方のつくられた自分を損なうことで、貴方の隣人を損ない、かつ、貴方自身をも損なうことになるのです。
貴方は受け入れるべきなのです。
作られた貴方の自分とは、貴方と貴方の隣人とがともに生き合われた場所なのであるということ。
貴方と貴方の隣人から作られているという、そのことこそが、貴方の本質なのです。
その本質に至らずして、貴方は、貴方自身を語ることはできないでしょう。
すると、これを読まれている方の中には、隣人の入る隙のない固有の自分こそ求めるべきだと考える方もいられるでしょう。
その見方を否定しません。
ただ、その隣人の入る隙のない固有の貴方は、同時に、隣人からかかわられている固有の存在でもあるのです。
隣人からかかわられているということが、固有の貴方を否定することではないということを考えてもらいたいと思います。
貴方と貴方の隣人の共同作品である貴方のかたちを、面白がってみましょう。
お笑いの人は、そういう意味で、この方法を知っている人たちということが言えます。
自分に与えられている、貴方のかたち、貴方の自分を面白いと感じることができれば、素敵なことではありませんか。
貴方は自分の人生を愉快に過ごすことができるでしょう。