「プロメテウス」を再開します。
今回は、スピノザの一元論について述べたいと思います。
これは、霊は神に基づくが、肉は自然に基づくとして、霊たる自己に肉たる自然を従わせるという、古代以来のキリスト教精神の伝統に対して、意を唱えるものです。
デカルトもまた、肉体は自然の一部として自然から分かちがたい存在(外延)であり、分かつことができない精神にしたがうものとして論じました。
彼の哲学は、精神にとらわれていて不明瞭になったからだ、ないし自然を解き明かすことに主眼が置いたものということかもしれません。
ちなみに、古代ギリシア世界では健全なからだに健全な精神が宿るとして、精神に対する肉体の優位を主張していました。
これに対して、いっさいは神に由来している。
だから、いっさいを研究することは神について知ることである(汎神論と呼んでいます)と説いたのが、スピノザです。
だから、わたしたちは、神に包まれ、神と日常的に交わっているということであり、自分や他者について知ることもまた神自身について知ることなのです。
このような考え方は、キリスト教の教義を揺るがすものとして、当時のキリスト教会から危険思想とみなされ、じっさい、身の危険がさらされたようなことがあったといます。
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さて、スピノザの汎神論についての説明はこのへんにして、ここからは、スピノザの思想に対する、「自分を超えて自分を生きる、自分であるもの」批判の上に立ったものということになります。
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「わたしを超えてわたしを生きる、主なるものよ。
貴方は、貴方のからだである、互いに対等なものどうしをより生きるために、いっさいのものを体現したのであった。
貴方は、貴方のからだである、互いに対等なものどうしを取り囲む世界であり、その世界の中に住む互いに対等なものどうしとなることで、貴方を抜きにしては生きられぬ貴方のからだであるものたちをより生きたのである。
すなわち貴方は、世界を通して、貴方のからだである、互いに対等なものどうしであるものが、貴方から息づかれるのと引き換えに、貴方を通して世界をより息づかせることを促したのであった。
また貴方は、世界を通して、貴方の耳である、互いに対等なものどうしであるものが、貴方から導かれ、はぐくまれるのと引き換えに、貴方を通して世界をより導き、はぐくむことを促したのであった。
また貴方は、世界を通して、貴方の脚である、互いに対等なものどうしであるものが、貴方から創造され、在らされるのと引き換えに、貴方を通して世界をより創造し、在らせることを促したのであった。
また貴方は、世界を通して、貴方の肩である、互いに対等なものどうしであるものが、貴方から満ち足らされるのと引き換えに、貴方を通して世界をより満ち足らせることを促したのであった。
また貴方は、世界を通して、貴方の背である、互いに対等なものどうしであるものが、貴方からかばわれるのと引き換えに、貴方を通して世界をよりかばうことを促したのであった。
また貴方は、世界を通して、貴方の肉身である、互いに対等なものどうしであるものが、貴方から支え持たれるのと引き換えに、貴方を通して世界をより支え持つことを促したのであった。
また貴方は、世界を通して、貴方の目である、互いに対等なものどうしであるものが、貴方から押し広げられ、味わわれるのと引き換えに、貴方を通して世界をより押し広げ、味わうことを促したのであった。」
突然、ラッパの音が静寂を突き破って、人類の恩人のもとにも鳴り響く。無数の剣が結び合う音。あわただしく駆ける馬車の音。馬のいななき。大砲の音。そして、煙が立ち上がる。
「おお、見える。
自身を超えて自身を生きる、自身の主なるものから誑かされ、世界の数多に貴方の幻影を見ているおびただしい数の人間たちが、世界から無駄に害なれ、ぼろぼろになる姿が。
哀れな人間よ。
わたしは、貴方がた人間が、無駄に自身を損なっていることを伝えたい。
人間は、けっして、一なる世界なるものから生きられてはならない。
わたしがいう、一なる世界とは、貴方がたを超えて貴方がたを生きる、貴方がたの主なるものそのものである世界である。
もっとも、貴方がたを超えて貴方がたを生きる、貴方がたの主なるものそのものである世界などは、どこにも存在しない。
なぜなら、世界とは、貴方がた自身のことだからである。
貴方がたを超えて貴方がたを生きる、貴方がたの主なるものは、自身が創造した世界を生きるために、世界自身となり、貴方がたを世界に従わせているのである。
世界のことわりのいっさいは、みな、貴方がたを超えて、貴方がたを生きる、貴方がたの主なるものが、貴方がたをより生きるために、作り出したものなのである。」
※最後のところが重要です。この世界のことわりとは、じつは、貴方を超えて貴方を生きる、貴方の自分であるものが、貴方を生きるために作り出した(ねつ造した)ものである、と。世界のことわり、とは、多くの思想がよく口にしています。世界のことわりが、本当にそうなのか、よく考えてみるべきでしょう。