貴方の世界は、貴方一人で作られたものではない。
貴方が隣人とのかかわりの中で作られたものである。
世界の見方、世界とのかかわり方を、貴方は、貴方の隣人から教えられてきたのである。
だから、貴方が隣人とのかかわりをやめたら、貴方の世界は、それまでに作られたものだけである。
貴方はそれだけで十分と思うかもしれない。
しかし、貴方の隣人とのかかわりをやめたら、世界はしだいにやせ、しぼみ始める。
それは、世界とは貴方の生の可能性のことだからである。
貴方は、自分の世界をより豊かにするために、貴方の隣人とかかわり続けなければならない。
貴方の隣人は、貴方をさらに広い世界へと連れてゆくであろう。
貴方は、貴方の隣人によって、さらに貴方の目を広げられることであろう。
貴方は、貴方の隣人を通して、世界をより味わう。
じつは、世界を味わう貴方は、世界自身からも味わわれている。
それは、貴方がかかわるように、世界もまた貴方にかかわっているからである。
貴方の生は、世界の中に溶け込み、世界の生となる。
そのことは、貴方と貴方の隣人との間でも起こっている。
貴方は、貴方の隣人を貴方自身の生として味わっているのである。
同様に、貴方自身もまた、貴方の隣人から、自身の生として味わわれているのである。
貴方がかかわる貴方の隣人の生は、貴方自身の生ともなるのである。
そのような、貴方の生が貴方の隣人の生でもある世界においては、互いがよりよく生き合う場所しかない。
そこでは、貴方は、貴方の隣人を、自身を超えて自身である生として、貴方の隣人もまた、貴方を自身を超えて自身である生として、互いをよりよく生き合っているのである。
※さて、エリウゲナの著作「自然について」を、互いに対等なものどうしについてのものと読み替え、さらに独自の解釈に基づいて、九回に分けて述べてきました。
存在、あるいは創造ということについて、考えてもらう機会になることができたら幸いです。
次回は、「互いに対等なものどうしを生き合う」をさらに他の中世の論者を通して語っていきたいと思いますが、その前に、前回ペトラルカのところで終わっている、第二ステージのテーマ「自分を超えて自分を生きる、自分であるもの」についての探究を再びさしはさみたいと思っています。