創作神話の第五章。
※今回は、古代ギリシアのプロメテウス神話を取り上げることを通して、神が絶対である宗教に対して、イエス、シッダールタ、孔子、ソクラテスによって、新たに興こされた人間中心の宗教(ソクラテスの場合は哲学)の意味について妄想したいと思います。
ご存知ない方にかいつまんでプロメテウス神話を言いますと、プロメテウスは人類に火をもたらしたことで、主神ゼウスから罰としてコーカサスの岩山に縛り付けられ、生きることも死ぬこともできない苦しみを受けるが、ゼウスの秘密を知っている彼は、その秘密を教えることと引き換えに、罰から解き放たれるという物語です。
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互いに対等なものどうしの絆であるもの(人類神プロメテウス)は、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるもの(主神ゼウス)が、いかに、あなた(人間)という存在を必要としているかを知っていた。
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものは、あなたという存在がなければ、なにものをも創造しないし、なにものをも生きることができないからである。
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものは、あなたを通して数多のものを創造し、あなたを通して創造した数多のものを通して、あなたを生きるのである。
しかし、あなたは、数多のものを生きるのにはあまりに力不足であった。
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものは、さらに数多のものを生きるために、あなたをグレード゙アップする必要があった。
そこで、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものは、互いに対等なものどうしの絆であるものを創造したのである。(人類神プロメテウスの創造)
あなたは、互いに対等なものどうしの絆であるものを通して、あなた自身を超えてさらに大きな自分を持ったのである。
しかし、互いに対等なものどうしの絆であるものを創造したことは、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものにとって、大きなリスクを背負うことであった。
それは、互いに対等なものどうしの絆であるものを通して、あなたが、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものを超えて生き始めるからである。(人類が火を使うようになったことの寓意。)
そこで、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものは、互いに対等なものどうしの絆であるものが、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものを離れてはけっして生きられないように、「頑丈な岩山」に縛り付けたのであった。(人類に火をもたらしたプロメテウスは、その罰としてコーカサスの岩山に縛り付けられた。)
だが、互いに対等なものどうしの絆であるものを、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものが滅ぼすことはけっしてできないことであった。
第一に、自身が創造したものを自身が滅ぼすことは、自身の創造行為そのものを否定することになるからである。
結局は、死なせず、かといって、生かすこともできない、自己矛盾に陥ったのである。(これが、岩山に縛り付けられたプロメテウスが、生きることも死ぬこともできない、永劫の苦しみを受けていることの意味である。)
それよりも重要なことは、互いに対等なものどうしの絆であるものそれ自身が、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものの秘密を握っていたからである。
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものの秘密とは、自身と対等なものを持たないということである。
自身と対等なものを持たないからこそ、互いに対等なものどうしの絆であるものを創造したのである。
つまり、互いに対等なものどうしの絆であるものは、あなたをただグレードアップさせるだけでなく、グレードアップしたあなたを生きるためにも必要な存在だったのである。
結局、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものは、あなたを生き、あなたを通して数多のものを生きるためにも、互いに対等なものどうしの絆であるものを、自身の呪縛から解き放たなければならなくなったのであった。
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものから解放された、互いに対等なものどうしの絆であるものは、新たにあなたをグレードアップさせるために、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものに対抗する存在を、あなたのもとに送り出したのである。
それが、イエスであり、シッダールタであり、孔子であり、ソクラテスである。
あなたは、互いに対等なものどうしの絆であるものが送り出した、あなたの同胞を通して、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの自分であるものを超えて、互いに対等なものどうしをより生き合うのである。
※次回から、人類神プロメテウスの目を通して、人類の歴史の意味を見つめていきたいと思います。