コンスタンティノポリスの大主教ネストリウスは、どんなささいな異端思想でも許さない姿勢で、厳格な正統主義を推し進めていくなかで、教会自身が、キリストの生母に「神の母」という尊称を与えているという問題に突き当たりました。
イエス・キリストの生母マリアについて、人であるイエスを生んだということでは、「キリストの母」という言い方は許されても、「神の母」というのはおかしいのではないか。
「神の母」から生まれたキリストは神といえるのだろうか。
いやそもそも、「神の母」という言葉は成り立たないのではないか。
神はいっさいのものに先んじた存在であるはずで、神に先んじる「神の母」というのは、明らかな矛盾である。
この問題に立ち入ったとき、彼はそれまで信じていた正統派に二度と戻れなくなっていたのでした。
なぜなら、彼は図らずも自身の手で、正統派教会の異端性を暴き出すことになったからです。
人の母であるマリアという問題は、彼を、正統派教義にはない、イエス・キリストの二重性へと向かわせます。
すなわち、イエス・キリストとは、人であるマリアから生まれた人としてのイエスのからだと、なにものからも生まれない神キリストのからだを二重に持った存在である。
人間としての部分と、神としての部分を二重にもった、一つのからだ。
しかしこの考え方は、イエスは、神が人として現れたものとする、正統派の三位一体教義を侵す可能性がありました。
彼にとって不運だったのは、彼が異端として追及していた、彼の敵対者(アレクサンドリアの主教キュリロス。キリストには人性はないと説いた。)から、逆に彼の説く言葉が正統派の三位一体教義に反していると訴えられたことでした。
この論敵には、彼が持っていた大主教の座に対する嫉みがあったことが伺われます。
彼の論敵もまた、自身が異端と宣告されることは、破滅を意味していましたから、執拗に彼に対する攻撃の手を緩めませんでした。
両者はともに裁判にかけられるものの、ネストリウスだけが異端思想を説いたとして大主教の座を追われ(逆に彼の論敵は列聖されることになります)、エジプトの荒野に追放されることになったのでした。
厳格な正統主義を貫いているつもりであったネストリウスが足を踏み外した問題。
それは、キリスト教がそもそも内に抱えていた問題でした。
なぜ、正統派教会は、イエスの生母を「神の母」とたたえなければならなかったのか。
それは、キリスト教が自身の教義を広めるために、キリスト教以前からある異教的なものをキリスト教の中に取り込んできたという事実です。
聖母マリア信仰とは、じつは、キリスト教以前の地母神信仰につながるものでした。
地母神信仰の根強い広い地域をキリスト教化するために、地母神を聖母マリアになぞらえたのです。
ほかにも、今日キリスト教の行事とされているものの多くが、キリスト教以前の異教の伝統を外側だけ変えて引き継がれました。
キリストの誕生日とされるクリスマスは、キリスト教以前からあった冬至の祭りがキリスト教化したものといわれます。
正統派教義にはこのように異教の要素が取り入れられたものであることは明らかであり、異端の可能性が十分にありました。
しかし、正統派は、キリスト教世界での正統派としての位置を守りました。
ネストリウス主義はローマ世界を離れ、中東、インド、極東に向かい、中国では景教と呼ばれました。
ペルシアでは、ネストリウス主義が正統とみなされ、正統派カトリックは異端として迫害されましたが、結局ネストリウス主義が正統派になることはありませんでした。
次回からは、正統派教会が自身の教義の中に取り入れていった異教なるものについて考えたいと思います。