正統派教会とアリウス主義の闘争の過程で、反アリウス主義の立場からあらわれてくるのが、アポリナリオス主義です。
アポリナリオスは、もともとカトリック正統派教会の反アリウス主義陣営で、アリウス主義者と戦っていました。
しかし、人間性を重視するアリウス主義者たちを批判するために、あえてキリストの神性を極端に解釈する論が、正統派教会からイエスの人間性を無視したものと解釈され、異端の嫌疑をかけられることになったのです。
カトリックの擁護者アタナシウスの同志である彼は、自分がどうして異端者と呼ばれることになったのか、理解できませんでした。
いったいどこに落とし穴が待ち伏せているか分かりません。
正統派の見解を述べているつもりだったのが、異端の宣告を下されたのです。
彼の言葉の使い方が無駄な誤解を招いた部分もありましたが、彼自身がいつの間にか正統派の教義から踏み外してしまっていたということかもしれません。
正統派教会は、イエスは神として完全であっただけでなく、人間としても完全であるという見解をもっていました。
むろん、この見解を彼が理解していなかったとは考えにくい。
しかし、アリウス主義に対する論戦の中で、彼の論は、いつの間にかイエスの人間性を否定するものに傾いていったのでした。
そうして、キリストの神性を強調しすぎるアポリナリオスの論は、イエスの人間の罪に対するあがない主としての意味を否定するものだとして、正統派教会から異端の烙印を押されることになったのです。
アポリナリオスは、正統派教会からの批判に対して正統派教義を支持している旨を述べましたが、異端の決定は覆らず、正統派教会にとどまることはできませんでした。
彼のキリストの神性を強調し、イエスの人性を過小評価する論はアポリナリオス主義として、少しの間存続したということです。
味方とともに戦っていたのが、いつの間にかその味方から敵とみなされることになった悲劇として、アポリナリオスの物語を読むことができます。
昨日の味方は今日の敵(昨日の敵は今日の味方の裏返し)。
このような事例は、歴史の中でたくさんあったことでしょう。
さて、このあと、イエスキリストをめぐる解釈はさらに精緻を極め、とてもあなたにご紹介できるほどの理解を持ち合わせていません。
一応、どういうものがあったのか、名称とその簡単な説明を列記しておきます。
興味を持たれる方は、ご自身でお調べいただければと思います。
キリスト単性論(またはエウティケス主義) エウティケスに始まり、キリストは神性と人性が完全に一つに合わさった神性であり、人性は神性に完全に取り込まれていて分離することができないと説く。
正統派教会は、キリストは神性と人性とは完全に分離しつつ一つに結びついているという観点から、キリスト単性論を異端思想であると批判した。
単性論派教会はカトリック正統派教会からの攻撃をしのぎ、さらにイスラム教の嵐の中を生き延び、アルメニア、シリア、エジプト、ヌビア、エティオピアに、今日まで残っている。
ペラギウス主義
カッシアス(または半ペラギウス主義)
ここまであえて上げて来なかったものがあります。
それは、ネストリウス主義です。
じつは、これまでの異端思想の中でもっとも重要なものとわたしが考えているのが、このネストリウス主義です。
なぜなら、ネストリウス主義は、ほかならぬ正統派教会自身への異端の疑いから現れた思想だからです。
すなわち正統派教会自身の異端性です。
ここから、いよいよ第二ステージの核心に入ってゆくことになるでしょう。