原点回帰するからだ モンタノス主義 | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

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 イエスの共同体は100年以上が経って、当初の熱情は薄れ、イエスの教えそのものよりも教会組織自身を維持するための団体に変わっていました。

 信者は教会を介せずにはイエスの教えを生きることはできず、教会に全面的に従うことこそが、イエスの教えにかなうことである、と説いていたのです。


 こうした状況に不満を抱き、イエスの共同体本来のものに戻るべきだと主張した人たちが現れました。

 小アジア、トルコの西部、フリギュア地方から出てきたのが、モンタノス主義者またはフリギュア派と呼ばれることになる人たちです。

 

 創設者モンタノスは教会の位階制が、イエス自身から自分たちを引き離していることを感じ、教会の指導を徹底排除し、イエスの共同体が「当初持っていた」はずの実践と信仰に回帰することを信者に求めました。

 結婚を認めず、再婚は絶対に禁じられました。教会がその頃信者に求めていた断食よりもさらに厳しい断食を課しました。

 また世界の終末が必ず訪れ、キリストが再臨し、フリギュアに新しいエルサレムが打ち建てられ、千年間統治するだろう、と語り、そうした神の王国を建設するために死ぬこと、すなわち殉教を積極的に勧めました。

 おそらく、この頃には正統派教会は殉教をなるだけ回避するような指導をするようになっていたのかもしれません。

 モンタノス主義は、正統派教会を徹底的に批判することを通して、自身のアイデンティティを維持したものと思われます。


 もう一つ彼らが独特だったのは、創設者モンタノスがプリスキラとマクシミラという二人の女性預言者を側近に選び、また公的な職務に女性を就かせていたということです。

 正統派教会では女性が教会の公的職務に就くということがなかったようですから、正統派教会の側からしてみれば、なにからなにまで教会の指導に対して楯突くものに見えたことでしょう。


 やがて教会は、モンタノス主義に対する攻撃を開始し、小アジアで開かれた主教会議で全面的有罪判決を下すと、モンタノス主義者たちは、教会から追放されることになりました。

 しかしその後度重なる弾圧にもかかわらず、彼らの運動は、紀元五世紀に「自然的原因によって死滅(D.クリスティ=マレイ著「異端の歴史」)」するまで継続しました。

 ただ彼らの運動の精神はさらに受け継がれて、千年後、カトリックに対する大々的な改革運動、宗教改革を生むことになるのです。


※とりあえずこれが最終的な訂正です。結論を急ぎすぎている箇所を思い切って削除しました。