今日はいつもと少し違うスタイルで、このブログをつづりたいと思います。
これからこの哲学ブログは、しばらくしんどそうなことが続くことが予想されるので、ときおり和みの時間というか、癒しの時間を設けたいと思います。
昨日5月21日の朝は、金環日食の話題で世間は持ちきりでしたね。
あなたは見ましたか。
じかに見るのは危険だというので、わたしはテレビで見ました。
日食グラスを持っていないので。
ところで、金環日食というのは、不思議ですね。
太陽の中に月がうまく入り込んで、あたかも天上のリングのようです。
この天上のリングにあやかって、結婚式をやるというところもあったようですね。
次に日本の本土で金環日食が見られるというのは300年後だとか。
世紀のこの瞬間に立ち会えたということは感動です。
さて、その金環日食は、古代の人も驚異の目で見ていたことは十分に想像できます。
わたしは思うのですが、あの天上のリングと、わたしたちが指にはめているリングとは、なんの関係もないのだろうか、と。
ふざけてあなたは金環日食に左の薬指を差し上げます。
あなたの左の薬指と天上のリングとは、なにか関係があるのではないかしらと。
そもそもリングというのは、特別な意味を持っていますね。
特別な意味なく、ただ好きで付けているっていう場合もあるでしょうが、自分の指にはめる行為は、やはりなにか意図をもってしているのです。
古代においてリングはなにか特別な力の象徴でした。
それは、リングに用いられた貴金属がまず特別なものです。
光り輝くこの鉱物は、どう理解しようとしても理解できるものではありません。
それは、科学が発達した現代においてでもそうです。
どんなに科学で光輝く秘密を解き明かしても、それがどうして、わたしたちの心に感動をもたらすかを、説明することはできないでしょう。
いよいよ本題です。
金環日食とは、太陽のリングであり、それを身に付けること、つまり指にはめる黄金のリングは、太陽の永遠の力を所有するということなのです。
太陽の永遠の力とは、命をはぐくむ力。
それは、わたしたち人類の最も古い信仰です。
わたしたちは、自分の中に刻まれた、根源的な命の信仰に気づくのです。
肉眼で太陽を見たことはありますか。
とても見ていられません。
だから日食グラスで見てください、なのです。
古代の人は当然日食グラスなどもっていなかったので、相当目を酷使しながら天上のリングを見ていたのでしょうね。
おかげで、目を傷めた人たちが、太陽信仰をさらに広めたことでしょう。