宗教がわたしたちに働きかけているものは、あえていうなら、どのような仮想現実(妄想)を受け入れ、生きられるか、ということであるかもしれません。
生きる、ではなく、生きられる、ということに注目してください。
今日宗教に対して懐疑の念を抱くひとは、宗教は妄想であり、個々の人間からその本来の生を奪うものと捉えます。
わたしもその論理にある程度賛同できます。
歴史は、宗教がいかに人間性を奪ってきたかを示しています。
ただ、宗教の一面を示しているのに過ぎないこともまた事実のように思われます。
なぜなら、あなたの人生は、かならずしも、あなたのものとはいえないからです。
あなたの人生が、あなたの思い通りのものならば、あなたは少しも間違っていません。
しかし、現実は、あなたを超えたところにあります。
すなわち、あなたの生とは、あなたが生きるものではなく、あなたを超えてあなたを生きる、あなたであるものから生きられたものなのです。
それは、自分の中の論理的なものを、片っ端から踏み外してゆく非論理の世界です。
その非論理の世界に耐えられない自分自身が恐ろしくて、あえて宗教を否定することもあるかもしれません。
あなたはまた、自分の考えを擁護してくれる哲学者を見つけ出しますが、その哲学者は、いまだ、説明できるものしか理解しない、という、悪しき科学主義にとらわれていることに目を向けてください。
じつは、わたしたちの生は、まだほとんどといっていいほど、分からないのです。
分かっているようなことを書いているものや人には、十分注意してください。
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さて、シモン・マグスが導くグノーシス主義派の福音書では、エデンの園とは、追放された楽園ではなく、誰もがそこから生まれてくる大地のゆりかごとして表現されています。
すなわち、
「エデンの園から流れてくる川は、胎児を養うへその緒を象徴している。
……したがって出エジプトは子宮から産道を通過することを意味しており……
『紅海の横断は血と関連がある』」。
天国は子宮であり、エデンの園は胎盤である・・・。
これを現実の世界に照らしてみるならば、この言葉の意味は広がりを持ったものになります。
あなたが生きるこの世界を、命の揺りかごとして見よう。
その瞬間、あなたが生きるこの世界は天国になります。
別の言い方をすれば、天国とは子宮のような場所だ、ということです。
ここでは、命がすべてに優先し、互いに争うことのない、平和な世界が広がっているのです。
言葉ひとつで、あなたの価値観、あなたの生き方は変わる。
あなたは、天国であり子宮であるこの世界を、いきいきと生き始めるのです。
これが、魔術師シモンの魔術の中身と言ってしまってもよいかと思います。
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余談ですが、地球生命体説というのがあります。
これまでの宗教に代わって、わたしたちの魂に語りかけるもののような気がします。
これまでの生命に対する考え方を超えて、わたしたちの住むこの地球を一つの命と捉える考え方で、ラブロックという地球物理学者が提唱した思想です。
さまざまの地球上の変化を、地球自身から発せられる声なき声と捉える。
地球環境を考える上でのキーワードになっている考え方です。
わたしたちが生きる地球という場所を一つの命として捉えることで、そこに暮らす、わたしたち一人一人が、地球から生まれた子、地球の子として、互いが家族となり、互いを理解し、生き合うことの大切さを、地球自身から受け取ることができるのです。