かなしい経験 (♪blue bird) | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

 昨日、ちょっとあったことを書きたいと思います。
 毎日、いろいろな人のブログを見るようにしていますが、なかにちょっと気になるブログがあって、そのブログが更新するたびに、覗きに行っていっていました。
 どう気になるかというと、そのブログが毎回、しんどそうなことを書いているのです。
 自分がつらいという思いをブログに書くのは、けっして悪くないと思っています。
 書いて、それが誰かの目に触れるということは、自分の小ささを思い知らされる一方、自分を取り囲んでいる大きなものに触れる機会となるからです。
 それを読む側もまた、誰かのつらい思いを知ることが、ひょっとして自分自身の心の浄化につながっていたりすることもあるかもしれません。
 ブログを書くということを通して、また、人のブログを読むことを通して、自分をより成長させている方も多いのではないか、と思います。
 ブログは基本的に自分自身の吐露であり(偽わっていれば、その偽り具合までがさらけだされます)、それが不特定多数の人の目に触れるわけです。 これは、なにかとてもすごいことだとは、思いませんか。
 ときおり、怖いと思うこともあります。
 自分が書いたことが、まったく見ず知らずの人に読まれ、どのように捉えられるか分からないからです。
 しかし、それが書くということの、重さなのです。
 不特定多数の人に向かって、ブログを書くことを通して、自分の言葉はより重みを増してくるのです。
 自分の言葉の重みに、時折耐えられなくなりながらも、自分がそのような言葉の重さを持ちえたことこそが、自分の成長の確かなあかしです。
 少なくとも、私は、ブログは、前向きに自分の言葉を鍛錬してゆく場であってほしいと思っています。
 じつは、気になっていたブログの方から、とてもかなしいコメントをいただきました。
 いつもつらそうなことをブログに書いていたので、がんばれ、というコメントを送ったのですが、どうやら余計なことをしたのかもしれない、と後悔しています。
 人間というものの難しさを、あらためて感じました。
 ひょっとして、この哲学ブログに書かれていることで、傷ついた方がいたら、ほんとうに申し訳ありません。ごめんなさい。
 さて、しゅんとしてしまった心に、元気を取り戻すための、この一曲を、みなさんにお届けしたいと思います。