世界を救うからだ | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

 この世界は自分が生きるのにふさわしくない。この世界が、自分が生きるのにふさわしいものにするために、自分が生きるのを妨げているものを、この世界から排除しなければならない──。


 あなたが生きるのにとても困難なとき、あなたの中でこの言葉が響いたのを、あなたの心の耳は一度も聴き留めたことはなかったでしょうか。

 

 しかし、あなたは、あなたの中の内なる響きを、ただあなたの中にだけ留めてきたのです。

 

 

 それは、世界は、あなただけが住む場所ではないからです。

 

 

 あなたが生きるのを妨げているものがあるとしても、あなたには、それを排除する権利はないのです。

 

 

 ただ、自分の中で響く言葉に、純粋にしたがう人たちも、歴史の中に、少なからず登場してきました。

 

 

 彼らは時に革命的政治家となったり、また、激烈なる宗教家となったりしました。

 

 

 ただ、惜しむらくは、彼らには、他人の意見というものを謙虚に聞くという姿勢を持てないことが多いことです。

 

 

 その急進なる態度のゆえに、それに異を唱えるものと激しくぶつかることになるのです。

 

 


 この社会が本来のものではなく、社会そのものを作り変えるべきだと訴えかけたものの一つに、古代のキリスト教アリウス派を源流として、1845年頃にアメリカで誕生した、アデルフィアン、正式名称「キリストの兄弟たち」があります。

 

 

 彼らは、現世から離れ、来世だけを見据えて生きる多くの宗教と異なり、来世を否定し、現世において神の国を作ることを目指しました。

 

 

 この主張は、来世で救われるために現世を犠牲にする人々の信仰のかたちは、本来イエスキリストが説いたものから遠く離れたものであり、現世を大事にすること、すなわちこの現世に神の国を作ることこそが、すべての人間の務めであるということです。

 

 具体的には、彼らは南北戦争などで、兵役を拒むという行動を用いました。

 

 

 戦争は、現実の世界を破壊することにほかなりません。

 

 

 どうして、現実の世界を破壊することが平気でできるのか。

 

 

 それは誰しも思うことなのではないでしょうか。

 

 

 彼らの思想を純粋に考えるとき、この答えが引き出されてきます。

 

 

 すなわち、戦争は、戦争の後の世界を信じる人たちが、現世を犠牲にして、なんの疑いを持たない、愚行以外のなにものでもないのです。

 

 

 どうして、戦争の後の世界を信じることができるのでしょうか。

 

 

 破壊されたあとの世界などありえないのではないでしょうか。

 

 

 戦争の後の世界を信じることができる、というのは、じつは、来世を信じることができる、というのと、まったく同じ発想なのです。

 

 

 極論するなら、来世を信じる心こそが、戦争を起こす主因なのです。

 

 

 現世を大事にしないものには、来世などないといっていいでしょう。

 

 

 また彼らは、悪(サタン)などないと断言し、戦争の正義、大義名分を真っ向から否定しました。

 

 

 

 では、このことを次の詩に託して。

 

 


「あなたが今息づかれている世界は、あなたが本来、あなたの「強くあるもの」に息づかれる場所ではない。

 あなたが今息づかれている世界を、あなたが本来、あなたの「強くあるもの」に息づかれる場所にすることで、

あなたは、あなたを超えてあなたをあらかじめ息づく、あなたのあらかじめなる血であるものから、あなたのより「強くあるもの」に息づかされるのである。

 

 

 また、あなたが今はぐくまれている世界は、あなたが本来、あなたの「聡くあるもの」にはぐくまれる場所ではない。

 

 

 あなたが今はぐくまれている世界を、あなたが本来、あなたの「聡くあるもの」にはぐくまれる場所にすることで、

あなたは、あなたを超えてあなたを高くはぐくむ、あなたの高き胸であるものから、あなたのより「聡くあるもの」に導き、はぐくまれるのである。

 

 

 

 また、あなたが今在らされている世界は、あなたが本来、あなたの「とらわれなくあるもの」に在らされる場所ではない。

 

 

 

 あなたが今在らされている世界を、あなたが本来、あなたの「とらわれなくあるもの」に在らされる場所にすることで、

あなたは、あなたを超えてあなたを限られなく在らせる、あなたの限られなき腕であるものから、あなたのより「とらわれなくあるもの」に創造され、在らされるのである。

 

 

 

 また、あなたが今満ち足らされている世界は、あなたが本来、あなたの「豊かくあるもの」に満ち足らされる場所ではない。

 

 

 

 あなたが今満ち足らされている世界を、あなたが本来、あなたの「豊かくあるもの」に満ち足らせる場所にすることで、

あなたは、あなたを超えてあなたを深く満ち足らせる、あなたの深き内腑であるものから、あなたのより「豊かくあるもの」に満ち足らされるのである。

 

 

 

 また、あなたが今かばわれている世界は、あなたが本来、あなたの「貴くあるもの」にかばわれる場所ではない。

 

 

 

 あなたが今かばわれている世界を、あなたが本来、あなたの「貴くあるもの」にかばわれる場所にすることで、

あなたは、あなたを超えてあなたを堅くかばう、あなたの堅き皮膚であるものから、あなたのより「貴くあるもの」にかばわれるのである。

 

 

 

 また、あなたが今支え持たれている世界は、あなたが本来、あなたの「重くあるもの」に支え持たれる場所ではない。

 

 

 

 あなたが今支え持たれている世界を、あなたが本来、あなたの「重くあるもの」に支え持たれる場所にすることで、

あなたは、あなたを超えてあなたを一に支え持つ、あなたの一なる骨であるものから、あなたのより「重くあるもの」に支え持たれるのである。

 

 

 

 また、あなたが今おし拡げられている世界は、あなたが本来、あなたの「広くあるもの」におし拡げられる場所ではない。

 

 

 

 あなたが今おし拡げられている世界を、あなたが本来、あなたの「広くあるもの」におし拡げられる場所にすることで、

あなたは、あなたを超えてあなたをあまねくおし拡げ、味わう、あなたのあまねき舌であるものから、あなたのより「広くあるもの」におし拡げられ、味わわれるのである。」