新しき言葉を聞くからだ | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

 読んだからには、それに従わなくてはならない。

 

 はたしてそういうことがあるでしょうか。

 

 

 私は、それはありうることだと思っています。

 

 

 ええ? と、あなたは思われるかもしれません。

 

 

 読んだからといって、どうして従わなくてはならなくなるのか、とあなたは憤慨されるでしょう。

 

 

 でも、それはたしかなことなのです。

 

 

 読む、とは、知ったということです。

 

 

 それは知らない以前には、もう戻れない、ということを意味しています。

 

 

 知らない以前にはもう戻れない、それがすなわち、もう従ってしまっているということの意味です。

 

 

 知らないままだったら、あなたは幸せだったかもしれない。

 

 

 しかし、あなたは、それを読んでしまった。つまり知ってしまった。

 

 あるいは、聞いてしまった、という場合もあるかもしれません。 

 

 

 たとえば子供のころ、あなたは、大人がどんなことをしているか知りませんでした。

 

 

 

 しかし、大人になる過程で、あなたが、否が応でも知ったことはたくさんあるはずです。

 

 

 そんなことを大人はしている、と知って、あなたはどう思いましたか。

 

 

 ショックを受けたかもしれないし、受けなかったかもしれません。

 

 

 大人が知らないだけで、子供のうちに、もうすべて知っていた、という人もいるかもしれません。

 

 

 知らないままだったら、あなたは、従わずに済んだこと。

 

 

 しかし、知ってしまったからには、従わずにはおかなくなったことというのは、じつはあなたが普段あまり意識していないだけで、けっこうあるのです。

 

 

 前置きが長くなりましたが、今回、私が語ろうとするのは、言葉のもつ重さについてです。

 

 

 

 世界的な宗教に特徴的なことは、長大な教典を持っている、ということです。

 

 

 

 今回、私が述べようとするのは、自ら独自の聖書を持つ、とある新興宗教です。

 

 

 末日聖徒イエス・キリスト教会、すなわちモルモン教は、1830年に、ジョセフ・スミス・ジュニアによって作られ、アメリカ、ユタ州ソルトレイクシティは、この信徒が多数暮らしていることで知られています。

 

 みなさんもこの名は聞いたことがあるかと思います。

 

 彼らの宗教の最大の特徴というのは、古代のアメリカに実在したとされる預言者モルモンなる人物が神の言葉を書き記したモルモン経という、独自の聖書が存在している、ということです。

 

 

 彼らは、旧約聖書、新約聖書につぐ第三の聖書として、この書を位置づけ、この書をもっとも大事に考えます。

 

 

 それは、まったく新しい言葉を聞くことなのです。

 

 そして、いったんその新しい言葉を聞いたからには、従わなくてはならなくなった自分たちを、モルモン教徒、正式名末日聖徒イエス・キリスト教会の信者と名乗ったのです。 

(ちょっと、まわりくどい言い方ですが、このまわりくどさはけっこう意味深です。)

 

 彼らは、その書をもって、ひとたちに新しい言葉を聞かせようとします。

 

 そして、彼らから、一度その言葉を聞いた人たちは、もう聞かなかった以前のようにはなれなくなるのです。


 このことを、以下の詩に託します。


「あなたを超えてあなたをあらかじめ息づかせる、あなたのあらかじめなる血であるものを知ったからには、

あなたは、あなたを超えてあなたにあらかじめ息づく、あなたのあらかじめなる血であるものから息づかれなくてはならない。
 あなたは、あなたを超えてあなたにあらかじめ息づく、あなたのあらかじめなる血であるものを除いて、あなたの「強くあるもの」を生きることができないものとなったからである。

 

 また、あなたを超えてあなたを高く導き、はぐくむ、あなたの高き胸であるものを知ったからには、

あなたは、あなたを超えてあなたを高く導き、はぐくむ、あなたの高き胸であるものから導かれ、はぐくまれなくてはならない。
 あなたは、あなたを超えてあなたを高く導き、はぐくむ、あなたの高き胸であるものを除いて、あなたの「聡くあるもの」を生きることができないものとなったからである。

 

 また、あなたを超えてあなたを限られなく創造し、在らせる、あなたの限られなき腕であるものを知ったからには、

あなたは、あなたを超えてあなたを限られなく創造し、在らせる、あなたの限られなき腕であるものから創造され、在らされなくてはならない。
 あなたは、あなたを超えてあなたを限られなく創造し、在らせる、あなたの限られなき腕であるものを除いて、あなたの「とらわれなくあるもの」を生きることができないものとなったからである。

 

 また、あなたを超えてあなたを深く満ち足らせる、あなたの深き内腑であるものを知ったからには、

あなたは、あなたを超えてあなたを深く満ち足らせる、あなたの深き内腑であるものから満ち足らされなくてはならない。
 あなたは、あなたを超えてあなたを深く満ち足らせる、あなたの深き内腑であるものを除いて、あなたの「豊かくあるもの」を生きることができないものとなったからである。

 

 また、あなたを超えてあなたを堅くかばう、あなたの堅き皮膚であるものを知ったからには、

あなたは、あなたを超えてあなたを堅くかばう、あなたの堅き皮膚であるものから、かばわれなくてはならない。
 あなたは、あなたを超えてあなたを堅くかばう、あなたの堅き皮膚であるものを除いて、あなたの「貴くあるもの」を生きることができないものとなったからである。

 

 また、あなたを超えてあなたを一に支え持つ、あなたの一なる骨であるものを知ったからには、

あなたは、あなたを超えてあなたを一に支え持つ、あなたの一なる骨であるものから支え持たれなくてはならない。
 あなたは、あなたを超えてあなたを一に支え持つ、あなたの一なる骨であるものを除いて、あなたの「重くあるもの」を生きることができないものとなったからである。

 

 また、あなたを超えてあなたをあまねくおし拡げ、味わう、あなたのあまねき舌であるものを知ったからには、

あなたは、あなたを超えてあなたをあまねくおし拡げ、味わう、あなたのあまねき舌であるものからおし拡げられ、味わわれなくてはならない。
 あなたは、あなたを超えてあなたをあまねくおし拡げ、味わう、あなたのあまねき舌であるものを除いて、あなたの「広くあるもの」を生きることができないものとなったからである。」