なにものでもあるとともに、なにものでもない、あなたのからだについて、考えるとき、私は、一人の思想家を思い浮かべます。
彼の名はセバスティアン・フランク。16世紀のドイツに活躍した思想家です。
彼は、異なる宗教どうしが互いを批判しあう姿をながめ、どのような信仰であっても、みな神につながっているのであって、互いの教義などの違いでもって、相争うことは、まったく間違ったことである、と説きました。
つまり、カトリックも、プロテスタントもなく、同じキリスト教であって、そこに違いを見出すのは、人間の方の勝手な理屈なのです。また、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、儒教などなど、すべての宗教はじつは一つのものであって、これを分かっているのは、人間の側なのです。
私たちは、なんと多く、自分たちの同胞を、ささいな違いから傷つけ、命をあやめてきたことでしょうか。
これはまったく正気の沙汰ではありません。
みんなおかしい。狂っているのです。
それは、私たちの神受容の仕方そのものこそが、問題であることを明らかに示しているでしょう。
このことを皮肉れば、こう言うことができます。
宗教とは、神の捏造のことである。
そして、誤った信仰のことである。
いかに神を自分たちにとって都合よく捏造し、自分自身の信仰を勝手に作り上げるか、ということが宗教の役割だということです。
私たちは、私たちの誤った宗教、信仰心が、私たち自身をおびただしく損なってきたことを、よく考えるべきです。
そして、人間どうしが連帯できる、真の宗教、真の信仰心を、創造しなくてはならないでしょう。
それには、まず異なった宗教、信仰心を認めることから、始められなくてはなりません。
私たちの隣人を通して、自分自身を振り返ることで、私たちは、人間どうしが連帯できる、真の宗教、真の信仰心をもつことができるのです。
真の宗教、真の信仰心の創造への願いを込めて、この詩を記します。
「あなたは、あなた自身がどうあらかじめ息づかれるかを思いわずらってはならない。
あなたがどうあらかじめ息づかれるかを思いわずらうことが、
あなた自身が、あらかじめ息づかれることから遠ざけるからである。
あなたは、あなたの隣人がどうあらかじめ息づかれるかを理解することである。
あなたの隣人がどうあらかじめ息づかれるかを理解することが、
あなた自身をあらかじめ息づかせることになるからである。
また、あなたは、あなた自身がどう高く導かれ、はぐくまれるかを思いわずらってはならない。
あなたがどう高く導かれ、はぐくまれるかを思いわずらうことが、
あなた自身が、高く導かれ、はぐくまれることから遠ざけるからである。
あなたは、あなたの隣人がどう高く導かれ、はぐくまれるかを理解するべきである。
あなたの隣人がどう高く導かれ、はぐくまれるかを理解することが、
あなた自身を高く導き、はぐくむことになるからである。
また、あなたは、あなた自身がどう限られなく創造され、在らされるかを思いわずらってはならない。
あなたがどう限られなく創造され、在らされるかを思いわずらうことが、
あなた自身が、限られなく創造され、在らされることから遠ざけるからである。
あなたは、あなたの隣人がどう限られなく創造され、在らされるかを理解するべきである。
あなたの隣人がどう限られなく創造され、在らされるかを理解することが、
あなた自身を限られなく創造し、在らせることになるからである。
また、あなたは、あなた自身がどう深く満ち足らされるかを思いわずらってはならない。
あなたがどう深く満ち足らされるかを思いわずらうことが、
あなた自身が、深く満ち足らせることから遠ざけるからである。
あなたは、あなたの隣人がどう深く満ち足らされるかを理解するべきである。
あなたの隣人がどう深く満ち足らされるかを理解することが、
あなた自身が深く満ち足りることになるからである。
また、あなたは、あなた自身がどう堅くかばわれるかを思いわずらってはならない。
あなたがどう堅くかばわれるかを思いわずらうことが、
あなた自身が、堅くかばわれることから遠ざけるからである。
あなたは、あなたの隣人がどう堅くかばわれるかを理解するべきである。
あなたの隣人がどう堅くかばわれるかを理解することが、
あなた自身を堅くかばうことになるからである。
また、あなたは、あなた自身がどう一に支え持たれるかを思いわずらってはならない。
あなたがどう一に支え持たれるかを思いわずらうことが、
あなた自身が、一に支え持たれることから遠ざけるからである。
あなたは、あなたの隣人がどう一に支え持たれるかを理解するべきである。
あなたの隣人がどう一に支え持たれるかを理解することが、
あなた自身を一に支え持つことになるからである。
また、あなたは、あなた自身がどうあまねくおし拡げられ、味わわれるかを思いわずらってはならない。
あなたがどうあまねくおし拡げられ、味わわれるかを思いわずらうことが、
あなた自身が、あまねくおし拡げられ、味わわれることから遠ざけるからである。
あなたは、あなたの隣人がどうあまねくおし拡げられ、味わわれるかを理解するべきである。
あなたの隣人がどうあまねくおし拡げられ、味わわれるかを理解することが、
あなた自身をあまねくおし拡げ、味わうことになるからである。」