ところで、貴方が創造する世界とはどのような場所でしょうか。
貴方は、数多のからだの中をみなぎり脈打つ、あらかじめなる血です。
数多のからだであるものが、貴方からあらかじめ息づかされることで、貴方は数多のからだを貴方自身として生きたのです。
古代において盛んに行なわれた生贄は、貴方が数多のからだを通して、自身の血を生きようとした行為でした。また、戦争や大量虐殺といったものは、貴方のこの底知れぬ血から引き起こされたものだったのです。
(このように書くと、なんだか人はみな罪人である、とする原罪や、仏教でいう業を語っているようですが、これは哲学であって、宗教ではないことをあらためてお断りしておきます。)
貴方が強いものに憧れを抱いたり、自身を力づけようとするのは、貴方の内なるからだが、貴方の血であるものから強くあるものに息づかされようとするからです。
また貴方は、数多の耳を導き育む、高き胸です。
数多の耳であるものが、貴方から高く導かれ、育まれることで、貴方は数多の耳を貴方自身として生きてきたのです。
古代のピラミッドやさまざまな塔といった、高い建造物群は、貴方の声を貴方の耳であるものたちによりよく聞かせるために創造したものなのです。
貴方が高い山々や高層ビルなどにふと心が惹かれたり、教会や寺社の中で敬虔な心もちになるのは、貴方の心の耳が貴方の崇高な胸から聡くあるものに導かれ、育まれようとするからです。
また貴方は、数多の脚を創造し在らせる、限りなき腕です。
数多の脚であるものが、貴方から限りなく創造され、在らされることで、貴方は数多の脚を貴方自身として生きたのです。
神や自由の精神といった、崇高な存在や理念は、貴方の限られない創造力を貴方の脚であるものたちを通して示すために創造したものなのです。
貴方が宗教や政治思想などによって鼓舞させられたり、至福の感情にひたるのは、貴方の心の脚が貴方の限られなき腕から、とらわれないものに創造され、在らされるからです。
また貴方は、数多の肩を満ち足らせる、深き内腑です。
数多の肩であるものが、貴方から深く満ち足らされることで、貴方は数多の肩を貴方自身として生きたのです。
富であるものは、貴方の豊饒さを貴方の肩であるものを通して示すために創造したものなのです。
人々が求めて来た豊かさとは、自身が本来持つべき豊かさだったのです。本来持つべき豊かさだったから、人々はなんとしてでも取り戻そうとして争いあってきたのでした。
貴方が経済的に豊かに満たされようとするのは、貴方の心の肩が貴方の深き内腑から、豊かくあるものに満ち足らされようとするからです。
また貴方は、数多の背を庇う、堅き皮膚です。
数多の背であるものが、貴方から堅固に守られることで、貴方は数多の背を貴方自身として生きたのです。
気高さや貴さといったものは、貴方の堅固さを貴方の背であるものを通して示すために創造したものなのです。
貴方が愛を求めるのは、貴方の心の背が貴方の堅き皮膚から、貴くあるものに庇われようとする行為なのです。
かくして貴方は、誰かから貴くあるものに庇われることを求め続けるのです。
また貴方は、数多の肉身を支え持つ、一なる骨です。
数多の肉身であるものが、貴方から一に支え持たれることで、貴方は数多の肉身を貴方自身として生きたのです。
重力、重さといったものは、貴方の唯一さを貴方の肉身であるものを通して示すために創造したものなのです。
貴方が一に重んじられようとするのは、貴方の心の肉身が貴方の一なる骨から、重くあるものに支え持たれようとするからです。
また貴方は、数多の目をおし拡げ、味わう、あまねき舌です。
数多の目であるものが、貴方からあまねくおし拡げられ、味わわれることで、貴方は数多の目を貴方自身として生きたのです。
国とか知であるものは、貴方のあまねきさを貴方の目であるものを通して示すために創造したものなのです。
貴方がなにかを知ろうとしたり、所有しようとしたりするのは、貴方の心の目が貴方のあまねき舌から、広くあるものにおし拡げられ、味わわれようとするからです。
貴方は、貴方の生に対して、どこまでも欲深く、貴方の生きるこの世界を創造したのでした。