貴方から生きられている世界とはどのような世界でしょうか。
互いに対等なものどうしの部分と、対等ではない部分とでうまく使い分けることで、対等なものどうしの一成員として守られるとともに、対等なものを超えたもの(権力者)に取り入ることで、対等なものを超えたものから、より強力に守られようとする。ときに自分が対等なものを超えたものから損なわれることがあっても、もっと損なわれないために受け入れる。それは現実的な対応。
貴方は、互いに対等なものどうしが思いやり合うとともに、対等なものを超えるものに対しては礼節を重んじることを通して、貴方であるものを生きたのでした。(それは、古代中国で、儒教と呼ばれている)
また、限られてある自分は、あまりにかよわく、自身の運命から逃れ出ることができない。しかし、自分を超えたものに従うことで、限られてある自分から解き放たれた生を生きるものとなる。現実に生きる自分を脱し、現実を超えた自分を生きること、すなわち理想主義。
貴方は、現実から自分であるものを引き離し、現実の自分を乗り越えた自分自身を生きることで、現実の事柄にとらわれない貴方であるものを生きたのでした。(それは、古代インドで、仏教と呼ばれている)
また、すでに知られていることにとらわれず、真に真実であるものを見いだすことで、貴方はより真実を生きることになる。無知蒙昧から脱し、真実の知によって生きること、すなわち真実主義。
貴方は、とらわれから解き放たれ、真実に基づいて生きることで、偽りの事柄に隷従しない、真実の貴方であるものを生きたのでした。(それは、古代ギリシアで、哲学と呼ばれている)
また、互いに対等なものどうしであるものが、互いに分け隔てられていることの不正を説き、再び一つに結ばれあい、互いに生き合われることで、互いは真に対等なものどうしであることを生きるものとなる。互いを分かつものを廃し、ともに生きること、すなわち協同主義。
貴方は、互いが再び一つになり、互いに愛し合われることで、地上の楽園を築こうとしたのでした。(それは、古代ユダヤで、キリスト教と呼ばれている)
貴方はまず克服すべき世界であり、それを克服しようとする改革者をも自らの内に創造したのでした。
この二つものが葛藤し、そして改革者を貴方の世界に屈服させること(すなわち開祖に対する捏造行為と神格化、言葉の解釈の変容など)を通して、貴方は貴方であるものをより生きたのです。