開講! 哲学をする理由と、哲学をすること | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

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世界とは、貴方について書かれた書物である。

みなさんに少しほんわかしてもらったところで、じつはここからがこのブログの本題です。

これから私の思想について述べさせていただきたいと思います。

ただ、それは専門的な知識を要するようなものではなく、誰にでもわかるものでありたいと思っています。

それから、これは哲学や宗教に関することですが、それらについて語るのではなく、そこから語り始めたものであることをご了解ください。

ひとことでいうなら、哲学や宗教からインスピレーションしたもの、ということです。

よって、たとえばある思想家について書くことは、その思想家が述べていることについて私見を述べるというのではなく、その思想家を介して新たに得た領域について、ときにその思想家の見解を否定したり、また捏造も加えたりしながら、新たな視野を持つということです。

ところで、私はなぜ哲学をするか、そこについて述べさせていただきます。

それは、この私と、この私が自分であると思っているものとがあまりにかけ離れていることを強く感じるからです。また、それは世界に目を移してもそうです。人々が思い描くものと、人々自身とがどうしてこうかけ離れているのか。具体的に言えば、戦争というものがそうです。宗教もまたそうでしょう。神を信じているものがどうして人を損なっていいものでしょうか。じっさい宗教にまつわる戦争が人類の歴史でたびたび繰り返されてきました。すると、彼らの神っていうのは、戦争が好きな神ということなのでしょうね。また、善なる神の善とは、悪をなすということでしょうか。

民主主義、自由という言葉はなにかとてもいい響きがしますが、しかし、じっさいはどうでしょうか。人々は、民主主義、自由の言葉から幸福を得られているでしょうか。

個人だ、といいます。しかし、それは、そんなに偉いものでしょうか。

そうして哲学、宗教について語っているものを読むと、じつにあきれかえるばかりです。

それらの書物は、哲学、宗教の「正確な」注釈書であって、哲学、宗教そのものではないのです。

世に哲学者というものを時折見させていただきますが、まったく信頼できませんね。

真の哲学、宗教というのは、哲学、宗教自身を飛び越えたところにあるのではないでしょうか。

と、まあ、堅苦しくなってしまいました。これからはなるだけ、子どもでも分かるように書くことをなんとか心がけてゆこうと思っています。では、開講!