心の科学への疑念と、新たな心持ちへの出発 | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

心というものを科学的に分析するのが心理学といわれる分野だ。

私は、この心理学というものにつねづね疑念を抱いている。

いったい私の心、貴方の心、彼、彼女の心をほんとうに語ることができるのだろうか。

科学というものに対するわれわれの信頼は過信であってはならないと思う。

そもそも科学とは、分かることを拡げるという程度のものではないだろうか。

むしろ科学で分からないことは無数にある。

宇宙を構成するものについて科学が分かっているのはわずか3パーセントくらいだという。

残りはダークマターとダークエネルギー。

これは暗黒物質、暗黒エネルギーと訳されるものだが、ダーク、暗黒とは分からない、という意味だ。

デカルト以来、科学と科学の後ろ盾になった厳密の哲学は、数百年間、分かることを求めて来たが、それは科学が限界に達するとき、その後ろ盾になった厳密の哲学もまた限界に達したのである。

これからはむしろ、デカルトが排除したもの、わからないものを真剣に考えるときが来ているのではなかろうか。

すなわち分からないという学問である。

私は、私の心が分からない、貴方の心が分からない、彼、彼女の心が分からない。

でもそれで絶望することはない。分からないのが真実なのだから。

分からないところから始まるのだ。

私は私の心が分からない、しかし私は私を愛している。

私は貴方の心が分からない、しかし私は貴方を信頼している。

私は彼、彼女の心が分からない、しかし私は彼、彼女を憎く思っていない。

もっとも、こんなことは言うまでもなく、すでにわれわれがそうしていることなんだった!

すでにそうしていることを考えよう。

ここから本当に考えよう。

われわれの心を。

私の心、貴方の心、彼、彼女の心。。。