母と父が写っている写真を見せると 「お母ちゃんだ!」 とキラキラ笑った。
前回会った時は、自分が誰だかも分からないみたいだったけど 「次は、木曜の通院の時合おうね」 と言うと「楽しみにしている」 と 意識がハッキリして元気になっていた
「お父さんは 何の仕事をしていたんでしょう~? 折り紙も塗り絵も キッチリ丁寧になさるんですよ」 と生活相談員の方から言われた。 絵を書いたり大工仕事が得意だったんです。 と応えた。 は、父が描いた 昨年5月まで働いていた会社の社長の似顔絵。 (何年か前に描いたらしい)
父の面会のあと 水城公園の染井吉野見た。
東京は開花したらしいが 埼玉県行田市まだ開花ならず
父の勤めていた会社には、えみうが独立する前に勤務していた製版屋の先輩が男性社員が2人入り 社長・娘さんと共に心配してくれていたので 施設での様子を報告しに寄った。 工場にいた先輩Iさんも介護経験者なので とても参考になる話を聞けたし 印刷やイラストレーターの話も聞けた。 息子さんが、一度就職したのに また専門学校に入りなおす事など15年振りにたくさん話せ楽しかった。
事務所では 頭の傷もすっかり善くなり、予定していた手術もなくなったことや 社長から電話があったと伝えたら「いつでも電話くれれば行くのに」と父が笑っていたこと。 を伝え 上の絵を見せると 社長と娘さんは涙を流して喜んでくれた。
えみう 両親や身内からは 散々蔑まれてきた。
どんなに上手くても絵じゃ飯は食えない!と顔を見る度言われたが 仕事に出来るようになると「遺伝」として父が褒められ 自分の身内の血を讃えていた人達。 何もわかっていないくせに・・・遺伝じゃなく 努力で手に入れた実力だぜ。
父にも何度となく苦汁を飲まされたが 今では もうどうでもいい
父ちゃんが 笑ってくれたらいいや。
親戚一のバカ娘・・・ここまで来たよ
有名人じゃないけど えみうの絵、この街中にたくさんあるんだよ
土曜~3日間 親戚や知り合い何十人に会って 昔の事を思い出す機会がたくさんあったもので。