市川笑野ブログ「笑野戯言草」 -1055ページ目

《八重垣姫》

『本朝廿四孝』の八重垣姫、歌舞伎では三姫(※)と呼ばれる女方にとっての大役の一人とされていますドキドキ
今回の舞踊会では、諏訪ゆかりの演目であることから笑野丈が選んだのだそうです。


凍った諏訪湖を渡るのですから物語としては諏訪ゆかりなのですが、八重垣姫は創作された人物です。

ただしモデルは存在しており、武田家より上杉家に嫁いだ勝頼の妹“菊姫”と伝わっています。


実在しない八重垣姫ですから、もちろん生家跡やお墓はありません。


あえて諏訪で八重垣姫をしのぶ場所を選ぶとしたら・・・。

諏訪市の湖畔公園にある八重垣姫の像でしょうか。


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番地などの表示ができないのであせる“片倉館”を目印にしての道路の向かい側あたり、との表現しかできないのですけれど。

写真を撮りに出かけてみましたが、逆光で表情はとらえられませんでした。

ただ、掲載するにはこのままの方が夢があって良さそうに思えますえっ

多分、皆さんの想像する八重垣姫像とはギャップがあるのではないかと感じています。


市川笑野後援会のブログ-八重垣姫1

実際に諏訪湖にたたずむ彼女に興味のある方は、是非、会いにおでかけください。


合格三姫・・本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」の"八重垣姫"、「祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)」の"雪姫"、「鎌倉三代記」の"時姫(ときひめ)"の三人。

演じる役者には、気品と美しさが要求される。

人物像としては、困難な周囲の状況の中にあって、恋に命を賭ける凛とした強さが備わっており、実の親よりも迷うことなく愛する男性を選ぶという、身分のあるお嬢様であるにもかかわらず性根の据わっている女性桜

振袖新造の衣裳

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私の着ている新造の衣裳には、羽衣が描かれています。これを我々は羽衣新造と呼んでいます。

なぜ羽衣なのか、歌舞伎発祥なのか、よくわかりませんがガーン、なかなか大胆なデザインなのは確かです。
いずれにせよ花魁道中用の衣裳ですから、ショー的要素が強い衣裳です。

多分、若い新造達にこの羽衣の衣裳を着せ、天女が舞い遊ぶ極楽を表現したのでしょう。

肩から裾にかけて羽衣がたなびいている模様はなかなかエレガントですキラキラ

しかしながら着てしまうと、羽衣の中心部分がほとんど帯に隠れてしまい、パッと見はなんだかよく分かりにくいのが残念ですしょぼん

“諏訪の浮城”《高島城》

諏訪には前回ご紹介した“霞ヶ城”をはじめ、大河ドラマに出てきた“上原城”や“桑原城”など様々な城跡があります。

その城跡のほとんどは戦国の時代の物なので、諏訪の地形からも攻め込んでくる敵が良く見える高台にあります。

ですから、諏訪の城跡を訪ねる為には必ずと言っても過言なく、坂道を登る事となります。

そのなかで、平地に建てられている《高島城》はかなり例外的であると言って差し支えないでしょう。

《高島城》は“諏訪の浮城”の別名も残るお城。

浮世絵にも、諏訪湖と富士山に加えて、高島城が描かれている物が残っています。

信濃諏訪藩(高島藩)の初代藩主 日根野織部高吉(ひねのおりべたかよし)に築城されたのは、慶長3(1598)年。

諏訪湖の干拓が行われた江戸時代の初めまでは、諏訪湖に面していた為に“諏訪の浮城”と呼ばれていたそうです(残念ながら、現在の諏訪湖とは少し離れています)。


そんなお城の立地も、姫が屋敷を抜け出して諏訪湖を渡る『狐火の段』の創作に一役買っているのではないでしょうか。

現在の天守閣は昭和45(1970)年に復元されたもの。

敷地は公園として整備され、地元では桜や藤のお花見に訪れる場所となっています。

お天気が良い時には、この天守閣からも富士山が見えるそうですニコニコ


※高島城 : 諏訪市高島1-20 TEL 0266-53-1173
       天守閣の入場 9:00~17:30 (受付終了30分前)
       入場料 大人300円 小人150円 20名以上の団体割引あり
       注)清掃などで天守閣に入場できない日もあります。市川笑野後援会のブログ-天守閣