Face Down : Rebornのリリックビデオ…これはちょっと哲学要素も入ってて解釈したくなるね。

勢いで書き連ねてます。

 

前回、その①はこちら。

 

 

 

 

 

■どっかで見たようなデジャヴ

リリックビデオ1分44秒~、あーデジャヴー!

このデジャヴってなんか、感覚的によく分かるんだけど言葉にしにくいな…うーん。

「どこかで見たような」…つまり、自分にも経験があるような…と感じることが、鍵の向こう=グレーの人の心の内にあるという感覚が白い人にはあるんだね。

グレーの人の心の奥底にある経験や記憶が、白い人にはあたかも自分のものであるかのように感じられる。でも、その経験や記憶の映像?は何度も上下逆さま(Upside-down)になって不安定なので、自分がしっかり認識できるほど焦点を定めることができない。

そういう混沌とした、他人には簡単に理解できない掴みづらいもの、人の心の奥底の世界に入り込むとこんな感じなのかな、と想像したりしてみた。

 

■時計の周りをぐるぐる…

点対称で向かい合う白い人とカラフルな人が、時計の針の代わりに時計回りに回る。

反時計回りに回っていない時点で、過去へとさかのぼったり、逆らおうとしているわけではない。

(You can let go,you can leave the past behind)

(このcanはあなたにもそういう選択肢があるっていうニュアンスかなあ)

 

ただ、時計の針(=時間)に振り回されるでもないよね。時が過ぎていくという普遍性に身を委ねつつ、今の本当の自分に向き合っている感じ。

 

■Free yourself

ついに向かい合ったよ(しかもえらい至近距離)

 

■手を取り合うシンメ

まじか君らやっぱり心の底からシンメやん

表情まで線対称やで!

 

■Face DownのMV映像

1番の方もそうだったけど、Face DownのMVを「過去」の象徴としている感じがする。

You can left the past behindだから余計に。

でもなんていうんだろう、意味あるものに感じるというか…全然後ろ向きな使い方じゃない。

しょさんの数々のリリックの中で、

「より高く飛ぶために低くしゃがむ事だって僕らには必要」(Once again

っていうのがクッソ好きなんですが、(ついでに聴いて)

固定観念で見んなよと。

低くしゃがむ意味が僕ら自身にある限り、それも前進だよと言わんばかりのアレ。

 

同じように、何かを背にして走ることは「逃げる」ことを連想させるけれど、

このリリックビデオにおいては、「次への強さ」が感じられる。

 

フュージョンした青い人が当時のMVを背にしてこちら側に走ってくることは、過去から逃げようとする弱さではなく、周囲や時の流れに流されすぎず、「今、ここ」の自分を貫く強さを持っている気がする。(え、だから逆三角形のマッチョなの?)

 

ちなみに、「後ろは振り向かない絶対」(Hey Yeah!)も好きです。

今の彼らはこれまでの蓄積の上に立っているのは確かなんだけど、あくまでそれは「結果」であり。過去から飛び出し、常に更新していくこと。そういう感じが私はしました。

 

 

なんてのんびり書いてるうちに、カイトのCDリリース、デジタルシングル「IN THE SUMMER」が押し寄せてきてて、慌てて更新した中の人です。^^;

 

 

リリース直後の感想は、コード進行云々について書いてます。こちらもどうぞ。

 

 

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