「心の空」をレコメンで聴いて、なんとなく。なんとなく、やってみたくなったので。
準備にならなかったら…ごめんちゃい!

Japonism」と言うからには、日本的な音階の曲も入って来るのでは…と勝手に期待して、

日本の音階について勉強してみました。

さて、このブログでは、過去に何度も音階について触れてきました。
Vol.26 #87-89【ARASHI Song Review 1999-2009―「風見鶏」のサビ
Vol.50 #156-157【ARASHI Song Review 1999-2009―「One Love」のサビ
『僕の見ている風景』カンタンレビュー―「Magical Song」のイントロ、サビ
Vol.57 #170-171【ARASHI Song Review 1999-2009―「season」のイントロ、サビ
Emina的『LOVE』感想―「サヨナラのあとで」の音階
and more...

これらの中で簡単に「ヨナ抜き長音階」と言いましたが、これは明治時代以降の呼び方。
日本の音階の歴史をたどると、この音階が日本人にとって馴染み深いワケをうかがい知ることができました。
まずは、日本的な音階は一体どこから始まったのか。

歴史的な話になりますが、ちょっとだけお付き合いください。


1.「日本的な音階」の起源
 西洋音楽は7つの音を使った七音音階で表現されますが、日本の伝統音楽は、五音音階が基本。
 その起源は、今から約1600年前の5世紀ごろ(日本はまだ古墳時代中期)に、朝鮮の音楽や朝鮮半島経由で中国の様々な音楽などが日本に入ってきたことから少しずつ始まっているのだそうです。
(あの聖徳太子も、大陸から音楽が入ってくることを奨励したとか…)

注:調べたところによると、日本の伝統音楽は主音がD(レ)のようですが、ここから先の説明は、話を分かりやすくするために、とにかく黒鍵を使わない表記をします。

 「遣隋使」や「遣唐使」ってどこかで聞いたことがあると思います。
 500年代の聖徳太子の時代から800年代末、平安時代の初期までは、島国の日本から中国へ何度も使者を出して、仏教経典や、中国の様々な文化や技術、海外情勢などを収集していました。

その中には、当時の中国の音楽も含まれていて、宮中の人たちは、外来の音楽を聴いて楽しんだそうです。

 

さて、その時の音階はどんなものだったのでしょうか。

中国から入ってきた音楽の中には、「呂音階(りょおんかい)」といって、(主音をドとした場合)「ド・レ・ミ・ソ・ラ」の五音をベースに、ファ#とシを足したものが多くありました。701年の奈良時代に大宝律令が制定され、その中で「雅楽寮(うたまいのつかさ)」という公的な機関が宮中に設けられることになりました。これにより、中国からの音楽は、宮中の行事としても本格的に取り入れられることになります。これが、日本の「雅楽」の始まりです。この時期から中国の音楽は、日本古来の音楽と混じり合いながら、新たな形に変わり始めていたのではないかと言われています。

 

しかし、平安時代の初期~中期になると、それまで交易が盛んだった中国・唐との関係が難しくなり、これまで輸入された文化を基礎にして、日本独自の文化を築いていく国風文化の風潮が強くなっていきました。(奈良時代からこの兆しはあったらしいのですが)

これをきっかけにして、中国から入ってきた音楽は、それまで「聴く」だけのものだったのが、宮中に作曲や編曲する人が増えたこともあって独自路線を進むことになり、この頃のものが、現在でも続いている日本の「雅楽」として成立することになりました。

しかし、中国から伝わった音楽理論は日本人にはとても煩雑で分かりにくかったようでした。朝廷は、850年頃から100年もの年月をかけて雅楽の大改革(楽制改革)を行い、この音楽をより馴染みやすいものにしました。このとき生まれたのが、" MS="" Pゴシック";mso-bidi-font-family:"MS="" Pゴシック";color:red;mso-font-kerning:0pt"="">「律音階」(ド・レ・ファ・ソ・ラ)という五音音階です。日本人にとって、日本の古代から伝わる音楽(これは主に朝鮮から入ってきたものと言われています)の方が馴染みがあったようで、この大改革の際にも、古代音楽と融合させる形で、変更が加えられ、律音階となったようです。現在に伝わる雅楽も、この時の音階が受け継がれているものがあるんだそうです。

ちなみに、「呂律(ろれつ)が回らない」はここからきているのだそうですよ!呂音階と律音階は、ミとファが違うだけで他の音は全て同じ音なんですよね。これをうまく使い分けられないと、とても音の響きとして気持ち悪くなってしまうのですが、演奏者がその違いを使い分けるというのはとても複雑なことだったようで、混乱してしまうそのさまを「呂律が回らない」と言ったのだそうです。へぇー。

 

まとめ①

日本の音階の歴史は、中国の音楽が日本に入ってきた奈良時代の前後から始まっている。

当時は、まだ完全な五音音階ではなく、五音をベースとした七音音階の「呂音階」だったが、奈良時代に古代日本の音楽と中国の音楽が融合する形で生まれた「雅楽」が、平安時代の初期~中期に大改革を迎え、そこで「律音階」という日本独自の五音音階が誕生した。

呂音階…ド・レ・ミ・ソ・ラ・ド(全・全・全半・全・全半 のサイクル)

※この音階は、七音音階と言う方と五音音階と言う方がいらっしゃるようで、どちらの説が有力なのかまでは確認できませんでした。おそらく、足した2音をどう認識するかの違いのようで、完全な五音音階ということではないというところでは一致しているようでした。

律音階…ド・レ・ファ・ソ・ラ・ド(全・全半・全・全半・全 のサイクル)

※全=全音、半=半音、全半=全音+半音

 

2. 安土桃山~江戸時代 庶民の音楽「俗楽」の広がり

安土桃山時代、江戸時代になると、貴族の音楽であった「雅楽」や「能楽」に対して、庶民の音楽「俗楽」が次々と誕生しました。三味線、浄瑠璃、尺八、箏曲、民謡など、様々な音楽文化が発達した時代と言えるのではないかと思います。

この時代の俗楽の音階は、のちに「都節音階(陰音階)」、「田舎節音階(陽音階)」として分類されました。

都節音階は、ミ・ファ・ラ・シ・ド・ミ、田舎節音階はレ・ミ・ソ・ラ・ド・レという音階になります。

これはあくまで私個人の印象ですが、現代でも、都のある街はきらびやかで、格調を重んじるところがあったり、ちょっとカッコつける風潮があったりしますよね。一方、田舎の方はどこか素朴というか、開放的というか、大雑把というか(笑)そういう雰囲気があります。俗楽の中でも、「都節音階」の曲はちょっと雅楽寄りの、格調ある雰囲気を持つ響きの音階で、「田舎節音階」の方は、より庶民的で明るい雰囲気を持った音階のように感じます。昔も今も、都会と田舎の違いってそれほど変わらないのでしょうかね(笑)

 

まとめ②

安土桃山時代や江戸時代になると、三味線、浄瑠璃、尺八、箏曲、民謡など庶民の音楽である「俗楽」が発達。俗楽の音階は、都節音階や田舎節音階と分類された。

都節音階(陰音階)…ミ・ファ・ラ・シ・ド・ミ(半・全2・全・半・全2 のサイクル)

田舎節音階(陽音階)…レ・ミ・ソ・ラ・ド・レ(全・全半・全・全半・全 のサイクル)

 

3.本題!明治維新以降の音階

本題に近づいてきました。これまでも使ってきた「ヨナ抜き音階」という言葉は、この時代以降の音楽研究でいよいよ登場します。

江戸時代の約270年にわたる鎖国の後、日本には西洋の文化・音楽がたくさん入ってくるようになりました。

しかし、西洋の音楽は七音音階をベースとして発展していることが多く、それまで日本で親しまれた五音音階とは異なるものでした。

音楽プロデューサーである亀田誠治さんのラジオ番組「BEHIND THE MELODY」のブログでは、まさにそのあたりが紹介されていますので、引用します。

" MS="" Pゴシック";mso-bidi-font-family:"MS="" Pゴシック";mso-font-kerning:0pt"="">

”明治以降、西洋から伝わってきたドレミファソラシの7つの音階を、

日本人が歌いやすい5音に絞り込んだのが「ヨナ抜き音階」です。

今では信じられないことですが

昔は、

3から4(ミからファ)、

7から8(シからド)

という半音の動きが、

歌ったり、聞き分けるのが難しいとされていたんですね。

その頃に多くの童謡(唱歌)が作られたため、

「ヨナ抜き音階」の曲が多いんです。

例えば、皆さんご存知の「蛍の光」。

これは実はスコットランド民謡なんですけど、

日本でこれが奨励されたのは5音階だからなんです。
引用:J-WAVE 亀田誠治BEHIND THE MELODY ~FM KAMEDA

 

日本人が歌いやすいように音階を絞ったという事実は、平安時代に行われた雅楽の大改革に通ずるものがあります。それまで、呂音階で演奏されていたものが、大改革をきっかけに律音階に変更された歴史。それと同じようなことが、明治時代にも行われていたということなんです。

 

このように考えていくと、日本の五音音階は、少なくとも奈良時代からずっと日本人に染みついているとても伝統的な音階だということが推測できます。(すごー!)

ヨナ抜き長音階は、長音階の7音のうち4番目と7番目を抜いた音階です。

ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドであれば、ド・レ・ミ・ソ・ラ・ド5音です。

この音階に当てはまる日本の現代音楽として有名なのが、

坂本九の「上を向いて歩こう」、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」、谷村新司の「昴」、きゃりーの「にんじゃりばんばん」「つけまつける」、AKBの「恋するフォーチュンクッキー」、Perdumeの「レーザービーム」など。挙げればキリがないですが、どれも多くの人が知っている有名な曲ばかりですよね。

嵐の曲にもあります。こちらついては、別の回でお話ししたいと思います。

 

ヨナ抜き短音階は、短音階の7音のうち、4番目と7番目を抜いた音階です。

ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラであれば、ラ・シ・ド・ミ・ファ・ラ5音です。
ナ抜き短音階で有名な曲をあげるなら、「さくら さくら」です。

(さくら さくら のやまもさとも みわたすかぎり)
(ラ・ラ・シ ラ・ラ・シ ラ・シ・ド・シ・ラ・シ・ラ・ファ ミ・ド・ミ・ファ・ミ・ミ・ド・シ)
↑全てラ・シ・ド・ミ・ファだけでできていることに注目!

明治時代にはもう一つ、「ニロ抜き音階」があります。ニロとは、音階の2番目と6番目のこと。
中でも、「ニロ抜き長音階」(ド・ミ・ファ・ソ・シ・ド)は、琉球(沖縄)音階とも言われ独特な響きです。THE BOOMの「島唄」は、まさに「ニロ抜き長音階」をベースとした曲になっています。

長音階があれば短音階もあります。「ニロ抜き短音階」(レファソラドレ)は、民謡音階ともいわれ、日本各地の民謡に良く使われた音階だといいます。有名な曲としては、ピンキーとキラーズの「恋の季節」や、ピンクレディーの「ペッパー警部」など。そして…おっと、ここはまだ黙っておきましょう(笑)←もったいぶるやつ

まとめ

西洋の音楽は、明治時代に日本へ入ってきたが、七音音階であり、日本人にとって歌いにくかったため、馴染みのある五音音階に変えて、童謡が作られた。


ヨナ抜き長音階…ド・レ・ミ・ソ・ラ・ド(全・全・全半・全・全半 のサイクル)
ヨナ抜き短音階…ラ・シ・ド・ミ・ファ・ラ(全・半・全2・半・全2 のサイクル)
ニロ抜き長音階…ド・ミ・ファ・ソ・シ・ド(全2・半・全・全2・半 のサイクル)
ニロ抜き短音階…ラ・ド・レ・ミ・ソ・ラ(全半・全・全・全半・全 のサイクル) 



さて、歴史についてはここまでです。
次回は、今まで出てきた音階をもう少し掘り下げてみます。
すると、「日本的な音階」ってなぜ日本的に感じるんだろう、というところのつながりを感じられるかもしれません。