「東京、どうなの?」

「楽しいーーーーーーーっ。東京、えぐい! 楽しい!」

 

GW後半、なんの連絡もないので、どうするつもりなのか息子にラインしたところ、5月4日の夕方に帰省することがわかったので、急遽、家族の予定を調整。

4日の夜は、認知症の父の介護で単身赴任中の私の実家で、みんなでごはん。子供の日の5日は、朝から、泉南市にある私の母の納骨をしていただいている施設にお詣りに行き、午後から、主人の祖父母のお墓参りと、実家。義父母と義弟妹家族と、みんなでごはん、という、お正月以来の家族4人行動

 

2年前に社会人となった息子のTは、どうなることかと心配したけれど、いろいろ失敗しつつも、最初の配属先の広島支社で、海と山と川と緑、光あふれる広島の再生と復興のエネルギーに助けられ、あたたかい人に囲まれ、仕事を教えてもらい、ゴルフを教えてもらい、海づりに連れていってもらい、船上で大きなカジキを掲げていた。

 

今年の1月下順に東京に転居し、本社預かりとなったあと、5人の同期社員と共に、海と山と川と緑に抱かれた高知県で、3週間の営業研修。またもや、あたたかい人に囲まれ、育ててもらい、おいしいものを食べ、合間に観光もしていた。

その後、東京に戻って、さらに研修を受けたあと、4月から丸の内にある東京本社に配属となる。

丸の内って、どのあたり? と思って、本社の住所を検索すると、

 

(東京駅の前! 向かいは皇居!)

(まわりは、本社ビルばっかり!)

 

もともと、のんびりした性格で、これまでの職場も、自然に囲まれたところだったのに、いきなり、超都会。しかも、苦手な事務仕事ばかりで、不夜城と呼ばれるくらい残業も多いらしいのに、大丈夫なの? と、夫も私も心配だったけれど、ニカニカ笑って、「楽しいーーーーーーーっ」と言うので、大丈夫なのだろう。

 

楽しいとは、具体的に何を? と思って詳細を尋ねると、おのぼりさんらしく、雑誌で紹介されているようなスポットをブラブラしたり、カフェめぐりをしているらしい。ドヤ顔で、「チーズケーキのおいしい店はまかせてくれ」というので、(チーズケーキが、そこまで好きだったとは初耳)と思いながらも、楽しんでいるようなので、安心。

 

「残業は? 何時に家に帰ってるの?」と尋ねると、「9時か10時くらい」と、普通に言うのでぶったまげる。

私なら、毎日帰宅が夜9時か10時だなんて、絶対いやだ。「毎日、寝るだけやん!」

夫も、(オレは無理)の顔をしている。

 

でも、ひとりだけで残業しているわけではなく、みんなで一丸となってやっているという「連帯感」や、「達成感」があれば、今のところは、残業が続いても苦にならないのだと思う。仕事が終わったあと、先輩が、「みんなお疲れ様!」と言って、オロナミンCを配ってくれたと、嬉しそうだった。

 

同期が自分しかいなかった支社と違い、同期100名全員が東京にいて、60名が東京本社にいて、20名が同じフロアにいるそうだ。

 

平日は自炊する元気もないみたいだし、外食が多く、野菜不足で栄養が偏っている心配はある。物価も高いようだ。

 

「東京は何年くらい勤務?」

「2年か3年」

 

その先も2~3年おきに、退職するまで転勤が続くので、結婚して家庭を持つことを考えたら、転職するか、このまま続けるか、次の異動までには考えなければいけないところだと思う。夫と私は、そういうことを就職する前にさんざん考えて、転勤のない職場を選んだわけだけど、大阪以外の土地に暮らしたことがないし、高知には、観光ですら行ったことがない。

人生に枠を設けずにいると、ワクワクの可能性がひらく。広島と高知と東京で生活できたなんて、花マルだ。

 

さて、娘のN。大学4回生。この時期に、〈どこからも内定をもらっていない、二次面接にこぎつけている企業が1社しかない〉というのは、果たしてどうなのか? (あかんのちゃうん?)と思うけれど、そんなことは本人が一番わかっていると思うので、わざわざ口にはしないでいた……けれど、やはり気になるので、こっそりTに確認したら、やっぱり、あかんかった。Tは、この時期には、今の会社の内定をもらっていたという。

 

「おまえ、この時期に内定ひとつもないって、キツクない?」などと、いきなりNに直球を投げている。

「初動が悪かったのでは?」と、夫がいまさらなことを言う。

「だって、就活って、普通に、5月か6月から始めると思っていたんやもん」とN。

 

(マジか!?)

 

こういう話を、母の納骨施設に向かう南海本線のボックスシートでしていたのだけど、ふと見ると、Nが、読んでいたはずの就活関係の本を落としそうにしながら、うとうとしている。

「昨夜、寝られなかったらしい」と、夫が言うので、(健やかの塊みたいなNが? 心労?)と、心配して尋ねると、「兄ちゃんが誕生日プレゼントを買ってくれるというので、何にしようか選んでいた」とのこと。

3時まで寝られなかったらしい。

 

「そんなの、いつでもいいじゃないの」と、あきれる。

認知症の父の介護で実家に単身赴任中の私は知らなったのだけど、電車のボックスシートでわかった情報によると、Nは、【3日後】に2次面接。【1週間後】に、別の採用試験の筆記試験があるらしい。

手に持ちながら寝ていたのは、筆記試験の科目のための「小論文対策」

 

(面接まで、あと2日!)
(小論文試験まで、あと1週間!)

 

しかも、1次試験に通ると思っていなかったので、対策をしていなかった、などという。

 

(え! お墓参りに行ってる場合とちがうやろーーー)

 

私なら、部屋にこもって、とりあえず、時間のかぎり悪あがきする。家族行事など、内定が決まるまでどうでもいい、という気持ちになる。ところが、Nには、どうやら社会人になるというビジョンが全くないらしい。何をやりたいかがわからないから、働きたい会社が決められず、就活が進まないのだ。

それなら、働かなくてもいいくらいの経済力のある人のお嫁さんになればいいと思うけど、そういうつもりもないらしい。何もしていない。考えることからフリーズしているようだ。

入社して、役割をもらったら、それなりに頑張る子だと思うのだけど……。働く気がない、というのは、いかがなものか。

 

「働くのは、義務なの! Nにその気があろうとなかろうと関係ないの!」

 

しかも、小論文試験前日の11日には、ミュージカルを観に行くという。

息子のTも、娘のNも、私の性格とはぜんぜんちがう。いったい、だれの、どこからの遺伝子なのだろう。(夫しかない)

 

二次面接と、小論文。今からエンジンを積み替えて、【ベストを尽くして手ごたえアリなのに落ちる】のと、【何もしないで、ズタボロ惨敗で落ちる】のと、どちらの痛手が大きいのか、当人じゃないのでわからないけれど、Nに後がないことは、わかった。

 

ふと見ると、スマホ片手に必死で検索しているので、何をしているのかを尋ねると、

 

「兄ちゃんのカバン、私も欲しいと思って」

 

と、Tが肩にかけている、なんとかというブランドの布製トートを、メルカリで検索中。

 

******

 

 

時間がなく、すぐに食べられる飲食店が、近隣になかったので、お昼はマクドナルド

家族でマクドナルドなんて、何年ぶりかわからない。景品付きのハッピーセットで満足していた頃が懐かしすぎる。値段も高くなったなあ…… と思っていると、Tが、「東京と値段が違う! 東京のほうが高い」と言うので、調べると「都心型価格」があるとのこと。家賃も高いし、物価も高い。東京ではお金がたまらない。

 

母のお詣りのあと、次は、夫の実家へ。お墓参りにも行く。

乗り継ぎがよく、早く着きすぎてしまったので、おいしい珈琲を飲もうということに。

夫の実家のある、大阪の野田・福島のあたりは、コアなお店が林立しているのだけど、なかなか立ち寄る機会がない。

 

「今もあるかどうかわからないけど……」と言って、夫が提案したのが、〈バーンホーフ ファクトリーストア〉というお店。

 

 

ところが、行ってみると、店舗はあったけれど、本店ではテイクアウトのみになっていて、珈琲を飲むことはできなかった。

 

(おいしそうなケーキが並んでいるのに!)

 

 

義父母宅へのお土産は既に買っているので、さらにケーキを追加するわけにはいかず……。

 

 

あきらめきれずに、ドリップコーヒーとクッキー、常温で持ち歩ける焼き菓子を買う。

 

 

 

バーンホーフのスイーツは、ドイツ、スイスの5つ星ホテルで活躍し、帰国後に著名な調理師学校の主任教授を歴任して、ドイツ伝統菓子、ドイツパンのパイオニア的存在と言われているかたが、監修されているそうだ。

 

店舗には、たくさんのドリップパックのコーヒーがある。ドリップコーヒーなのに、1杯数百円以上するので、目を見張る。

 

「G20 OSAKA SUMMT Blend(G20大阪サミットブレンド)」というパッケージがあった。

2019年に大阪で開催された、G20大阪サミット首脳夕食会のために創られたオリジナルブレンドとのこと。各国の首脳や、VIPが味わったコーヒーを提供したお店だったなんて。

 

阪急三番街の店舗では、ケーキとコーヒーが飲めるので、機会があれば行こうと思う。

 

 

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夫の実家に行く前に、お墓参りをしようと、お寺に行くと、「竹内力さん主演『欲望の街』ロケが行われました!」という趣旨の貼り紙(文面うろ覚え)が。

 

調べたら、竹内力さん公認の検証動画もアップされていてびっくり。

 

 

 

お義父さんは、90歳。認知症もなく、お仲間と地元の郷土史だかなんだかの編纂をされているらしく、パソコンも使うし、午前中に、駅前の喫茶店で過ごす2時間が日課で、いまなお博識。

 

お義母さんは、女優の高橋恵子さん似の美人で、自営業のお店のことをしながら、子ども5人と、舅姑、お義父さんの年の離れた弟さんや、お店の従業員さんも含めて13人の大所帯を、きりもりしていたスーパーウーマン。

 

「〈恋愛結婚〉で、親に反対されたけど結婚したから、辛くても帰れなかったの」、笑いながら話すお義母さん。その当時は、親同士がセッティングしたお見合い結婚が主流で、恋愛結婚は珍しかったのだと思う。
 

私の両親は、お見合い結婚だ。

小学校3年生のとき、友達の家に遊びに行って、お父さんとお母さんの会話の様子や、かもしだしている雰囲気が、自分の家とぜんぜん違っているので、子ども心にも驚いた。うちは、父が専制君主的で、絶対的で、父と母の会話は対等ではなかった。友達の家は、お母さんがお父さんから尊重されているのが、すごく伝わってきたから。

友達が、「パパとママは恋愛結婚」って言うので、意味もわからず、「恋愛結婚」がうらやましかったことを思いだす。

 

ふとした瞬間に、何かが開いたように、子どものころのシーンや感情がフラッシュバックすることがあり、あまりにもリアルなので、驚く。
 

TやNが、夫と私のことや、育った家庭を、どんなふうに思っているかはわからないけれど、私が実家に単身赴任している6年間。6年前に高校3年生だったTはともかく、中学3年生だったNにとっては、なにかしら影響があったと思う。だけど、すぎてしまったものは取り戻せない。

就職して巣立っていく前に、Nとは、いまから、少しでもたくさん、いっしょにいる時間を作りたいと思っている。

 

 

浜田えみな


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