シスコ展は、まさに、イメージングだった。

見たいものだけをフォーカスし、聴きたいものだけを聴きとり、自由に記憶を取り出すことができるという五感の魅力が、ぐるぐる渦を巻いている。

 

イメージの中では、時空も越え、次元も超え、縮尺も、形状も、数も、動きも、自由自在。

なにひとつ、制限されることなく、あふれている。

 

色や、形は、強調され、デフォルメされ、鮮やかな映像となり、心のスクリーンに、だだもれに投影されている。

 

〈パッションを止めない〉

 

その言葉が、ずっと鳴り響いている。

 

(本文より)

 

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旅する絵描き 木の葉堂 白澤裕子ちゃんと二人で出かけるおでかけに「てんけん隊」と名付けたのは、7年前。

隊列を組んで、楽しいことを目指して向かっていく、心強くて無敵な気持ち。

 

それが何かはわからなくても、かけがえのないものを探しに行く確信と、わくわくした気持ちがあふれて、高揚する。

 

合言葉は、〈わたしたちって、天才!〉

 

今回の待ち合わせは、滋賀県 JR瀬田駅。

目的は、塔本シスコ展だ。

「シスコ・パラダイス かかずにはいられない! 人生絵日記」

 

滋賀県立美術館は、京都駅から普通電車で17分のJR瀬田駅から、車で10分ほどの、びわこ文化公園内にある。

 

 

駐車場から、緑いっぱいの公園の中を通っていく。

 

 

とても、近代的でかっこいい建物だ。

 

 

シスコ展は、まさに、イメージングだった。

見たいものだけをフォーカスし、聴きたいものだけを聴きとり、自由に記憶を取り出すことができるという五感の魅力が、ぐるぐる渦を巻いている。

 

同じ風景でも、人によって、目に留まるものや記憶されるものがちがう

 

 

たとえば、地面を這っている虫に気がついて、しゃがんで近づいて、じっと見つめるとき、虫の姿だけが、脳内にクローズアップされる。

その虫のかたち、手足、動き、質感、そんな細部の観察で、いっぱいになる。

縮尺や比率は関係がない。

 

 

満開の桜のお花見に家族で来て、心を奪われ、空の青さや、ふりそそぐ日差しや、心地よい風や、桜吹雪や、家族の笑顔に幸福を感じるとき、「見渡す限りの景色のあらゆる場所」に、その嬉しさを体感し、はしゃぎまわる自分を、何人も感じることができる。

 

 

ある光景を観たとき、それにまつわる思い出や、過去の自分が、脳内に浮かび上がっていて、その光景の中にオーバーラップし、いくつもが同時進行することがある。

 

ものすごく感動したとき、その対象物で、心の中はいっぱいになるだろう。

その色。かたち。動き。質感。

いっぱいにスパークしたり、数で埋め尽くされたり。

 

イメージの中では、時空も越え、次元も超え、縮尺も、形状も、数も、動きも、自由自在。

なにひとつ、制限されることなく、あふれている。

 

色や、形は、強調され、デフォルメされ、鮮やかな映像となり、心のスクリーンに、だだもれに投影されている

 

シスコさんは、それを、そのまま、現実のカンバスに、一場面で転写できる人なのだと思った。

 

 

頭の中で起こっていること、胸の中に起こっていること、何を見ているか、何を聴いているか、そのときの感情の起伏すべてを、制限なしにあふれさせたら、このようになるという見本のようだと思った。

 

だから、シスコさんの高揚のままに、絵が躍動している。

シスコさんの心と、同期している。

それが、画面から飛び出して、現実の光景を巻き込み、観る人をゆさぶっている

 

〈パッションを止めない〉

 

その言葉が、ずっと鳴り響いている。

 

小さい子供のお絵描き。

原始の人類の壁画。

情熱の発露。原点。

 

(大きなパイプのような道筋が、スコンと抜けている感覚)

(開通している感覚を、体は知っている)

 

(どこに、制限があるのだろう?)

(いつ、できたのだろう?)

 

絵を描くとき、私を制限している、たくさんのルール。

 

(実際の数。実際の色。実際の比率。時系列。守らなくてはいけない)

(存在しないものを存在するように描いたら、いけない)

 

そのルールの上で、二次産物として、アート作品を再構築しようとする。

知識で。技術で。

すると、それらが足りないという壁がそびえる。

 

(シスコさんには、それを感じない)

 

シスコさんの絵は、静止しているのに、ムービーのようだ。

 

迫ってくる。飛び込んでくる。

俯瞰できる。

 

53歳から絵筆を持ち始め、91歳で亡くなるまで、そのパッションを止めることなく、描き続けたシスコさん。

 

私の中に、大きなパイプが貫かれている。

 

(ただ、出せばいい)

(素直に、表現する)

 

***

 

シスコさんが絵筆を持ち始めたとき、住んでいらしたのが、私が住んでいる市だ。

結婚してから、二十数年間、通勤や外出に使っている最寄り駅を描いた作品があり、驚いた。

 

 

子どもたちが遊んだ大きな府立公園も、いくつもの作品に描かれている。

 

 

パラダイスにつながる扉は、どこにでもある。

だから、「てんけん」はやめられない。

 

***

 

裕子ちゃんが好きだと言っていた作品。

 

 

私よりも、色に対する感性が繊細で、受容器の精度が細かいだろう、裕子ちゃんは、シスコさんから、私とは別の、たくさんの刺激を浴び続けていたと思う。

終わるころには、かなり、へろへろの様子だった。

 

私は、そういうことはなかった。

展示会場をまわりながら、パッションを出し入れできる大きなパイプが、自分の中にも通っている感覚が蘇り、シスコさんの圧倒的な色彩や、埋め尽くされたモチーフのエネルギーが、そのパイプをクリーニングする「禊祓」のように感じていた。

 

だけどもし、シスコさんがその感性を、画材ではなく、詩や散文や、オリジナルな手法を用いた言語で表現されていて、その作品が会場を埋め尽くしていたら、私は、キャパオーバーで動けなくなったと思う。

 

(イメージと直結し、それをアウトプットする手段を持つこと)

(それを模索し、磨き続けること)

(パッションを、止めない)

 

そのことを誓う。

 

駐車場に停めた車に乗り込んだとき、広がっていた空と雲。

 

 

浜田えみな

 

つづきます。

 

後半のてんけんは、草津にあるcafe tora魚寅楼の厚焼きたまごサンドと、とある場所でのボディ・ペインティング

 

2022年6月に、7年ぶりに復活した旅する絵描き 木の葉堂 白澤裕子ちゃんとのてんけん隊の記事はこちらから。 

 

【白澤裕子ちゃんとのてんけん隊復活! at 室生山上公園芸術の森(1) ~翼に乗る切符~】

 

 

 

旅する絵描き 木の葉堂 白澤裕子さんのHP