てのひらが花であるなら、
肩からが茎で、その根は体幹にある。

腕の根が体幹にあるなら、脚の根だって体幹にある。
頭部の根だって体幹にある。


自分のものでありながら分断されていた遠い分身と、
つながるラインが浮かび上がる。


それは、自分の中心から生まれるエネルギーが、
太く大きくゆるぎなく、
すみずみまで供給される実感と安定を生み出すもの。


つながる動きはエレガントになる。


*    *    *


ロルフィングセッションというものを受けている。


私は、人の持つ内なる自己治癒力を信じているし、言葉の持つ力も信じている。
でも、姿勢(からだの状態)がココロに与える影響を、ものすごく大事に考えている。


身体の軸と心の軸は一体だと思う。
身体の重心と心の重心は一体だと思う。
姿勢の乱れは心の乱れだと思う。
身体が歪めば、まっすぐな心を保つのは難しいと思う。


このことを最初に意識したのは、アロマのセミナーで知り合ったセラピストさんに紹介されたヨガスタジオで、パーソナル整体を受けたときだった。


歪みやコリを取り去り、解放されたからだは、腕も足も重力を感じなかった。
胸がいっぱいにひらいて、立っていることが、どこまでも気持ちよくて楽だった。
うつむきたくてもうつむけなかった。

背筋はまっすぐに通り、上半身は上に伸びていき、下半身は下に伸びていき、つながりながらつりあっていて、快感だった。
大きく開いた胸では、ネガティブなことなど、思いつきたくても思いつけなかった。


胸いっぱい息を吸い込むことができ、エネルギーを身体じゅうに満たすことができ、勝手に頬がゆるんで、笑顔になった。


〈身体を変えればいいんだ〉


このことは、今でも私の持論だ。


昔の日本人の心が強かったのは、立つこと、座ること、挨拶など、日常生活の中で、身体の軸を正すことが習慣になっていたからだと思う。

「読み書きそろばん」というのは、技術の習得ではなく、精神修養の一環だったと思う。


姿勢を正して、声を出すこと。自分の声を響かせること。
姿勢を正して、墨をすること。文字を書くこと。


私は書道を習ったことがないけれど、最初のテンを打つとき、人は無(素)になると思う。
縦の線、横の線、ハネ、トメ、ハライ、タメ、そして全体のバランス。
それは、人間関係におけるバランス感覚を取ることと似ていると思う。

縦書きという形態は、よいものは上から下へ流れるという真理を教えるものだと感じている。


現代日本で、恒常的に筆文字を書く人は少ないけれど、たとえペン書きでも、文字をないがしろにする人は、生活の中で自分の軸を立て直す機会を損なっている気がしてならない。


特別な時間を作って行うものは、やがて時間が取れなくなっていく。
わたしの場合でいうと、ヨガやピラティスのレッスンに通ったり、ストレッチや筋力トレーニングをしたりというような。


さらに、永年の間にしみついた身体のクセや歪みは、直せないし、気づきにくいことが多い。

人の身体は、全て一枚の膜でつながっている。ある部分だけが仕事をするのではなく、全体が共同して起こるムーヴメントだ。その流れが、気づかないうちに立ち行かなくなって、歪みや癒着や凝りを生んでいる。


そういうものを、ロルファーは、丁寧にほどいて、本来の場所で、本来の姿で、本来の動きを取り戻すように、手技と言葉かけで思いださせてくれる。


ふだんの生活の動きの中で、自分の身体に語りかける言葉を持たせてくれることが、ロルフィングセッションの大きなギフトだと思う。


*    *    *


10回で終了する基本のセッションを受けている。最初に通ったのは夏の暑い京都だったから、そろそろ1年になる。昨日、#9を終えた。本来は、もっと間を詰めて行うものかもしれないけれど、私の場合は、気づいてみれば一年がかりのペースになってしまった。


ロルフィングの各セッションのテーマは、ロルファーのホームページなどを見ても、表現はさまざまで、クライアントの記録を読んでも、体感はさまざまだ。

特に#8~#10はそれまでやってきたことの統合と記載されているだけで、具体的にどんなことをするかは記されていないことが多い。


自分の体験については、毎回、記録を残しているけれど、#8のセッション(H24.7.15)の翌日に「ギックリ腰」になってしまったので、その記録がない! 
すっかり微細な感覚は飛んでしまったけれど、一つだけ覚えていることは、


腕と体幹のつながり


*    *    *


それまで、鏡の前で自分の立ち姿を見ても、「腕が決まらない」と思っていた。

ただ、ぶらさがっていて、借り物のような感じがぬぐえない。肩の付き方も、腕の回旋の具合も、すべてのおさまりが悪かった。

ちょうど、半袖からのぞく部分だけが、動きの悪い「腕」……自分の腕なのに「義腕」のようだった。
手首から先だけが、遠く離れて、自分の思い通りの動きをする。肩の先から手首までが、ただの棒のようで、持てあましていたのだ。


それが、つながった。


てのひらが花であるなら、肩からが茎で、その根っこは体幹にある。
そう意識できたことで、腕を自分のものにできた。


腕の根が体幹にあるなら、脚の根だって体幹にある。鼠蹊部から下が脚なのではない。
頭の根だって体幹にある。首から先が頭ではない。

自分のものでありながら、分断されていた遠い分身と、つながるラインが浮かび上がること。
それは、自分の中心から生まれるエネルギーが、太く大きくゆるぎなく、すみずみまで供給される実感と安定を生み出すものだ。つながる動きはエレガントになる。


というようなことをしっかり考えて帰宅したことは覚えている。

もともと、腰の調子は危険信号だったので、早めに就寝し、翌朝はよくなっている感じがしたので、油断して、大きなくしゃみをしたら、アウトだった。


さて。
「ギックリ腰」をどう受け取るか。
思うところあり。気づきあり。既に文章にしたことも、まだなこともあり。


もしも、事象に波動があるのなら、今回の「ギックリ腰」は、たいへん「よいもの」として、まわりの人が受け止めてくださった。

自分では、もう四回目なので、自己管理能力のなさにトホホな感じだし、無理やり理屈をつけて「学ぶ」ことは、思わずやってしまうけれど、「転んでもタダでは起きない」的な後付の強がりだと、きちんと理解している。


その中で、 「ギックリ腰は自己調整だから大丈夫」だと言ってくださった人。
自分の手に余ることを引き受けすぎているというサインではないか? という私の弱気に、
「ギックリ腰を起こすことで、今までの器より大きくなったから、もう大丈夫」という、さすがの私でも思いつかないような、すごい原理で太鼓判を押してくださる人。

ほかにも、同様なことを言ってくださる人が多くて、


(ほんまですかー)(苦笑)


期待に応えて、自分がとても大きなものに生まれ変わったような錯覚をしてしまうから要注意だ(笑)

ともかく。

ギックリ腰になって、会社も休んだし、決まっていた鑑定会も延期したし、迷惑をかけた人がたくさんいるし、身体は縮んで硬くなったし、不自由でガックリだけれど、一人だけ喜んだ子がいる。
うちのおじょうさま・コツメだ。


わたしは、終日、寝室で寝たきり。
コツメは朝起きたら、遊びに行ったりテレビを見たり。
夜になり、オフロに入って寝室に入ってくると、


「おかあさん、ギックリ腰で、いっしょに寝れるから、嬉しい」


といって、ニッコリ笑って、わたしの手を握って、そのまま寝てしまった。
別に手を握らなくても、腰が痛くて動けないので、どこにも行きやしないのに、わざわざ手を握ってきた小さな手が、それまでの寂しさを表していると思い、コツメが寝たあとも、その手を動かせなかった。


二日目の晩も、やっぱり


「おかあさん、ギックリ腰で、いっしょに寝れるから、嬉しい」


と、がっつり、動かせないように(?)手を握られ、ニコニコ笑いながら、コツメは寝てしまった。


わたしにとっても、コツメはなくてはならない存在だ。
今年の3月、リクトが中学になって子供部屋を作るため、それまで家族四人で寝ていた寝室の二段ベッドをセパレートしたとき、コツメも一人部屋にする予定だったけれど、私がコツメと離れられなくて、半ば懇願するように、一緒に寝てもらっている(笑)


それでも、添い寝をするわけではなく、コツメを先に一人で寝かせて、わたしは家事のあと、心行くまで好きなことをやり、夜中にコツメの寝顔にちゅーしまくって、かわいいを連発して、布団にもぐりこんでいる。

よくよく考えたら、コツメは、寝付くときは一人ぼっちなのだ。寝入ってから、母親が横に来たって、そんなことはわからない。かわいそうだったなあと、あらためて気づいた。


三日目は、整骨院で施術してもらい、動けるようになったので、起きてウロウロしていた。
遠慮がちに、コツメが尋ねてきた。


「お母さん、今日、いっしょに寝れる?」


もちろん、一緒に寝た。
コツメが寝つくまでの十分くらい、そばにいることなんて、よく考えたら、お安い御用だった。
それよりも、「お母さんと一緒に寝れるから嬉しい」なんていうことを、いったい、あと何年言ってくれるのか? と思ったら、私のほうが急激に寂しくなった。


今回の「ギックリ腰」が教えてくれたのは、このことかもしれない。


コツメとわたしは一心同体だとよく感じる。
気の進まない行事で鬱屈としているとき、コツメは必ず病気になり、わたしが、それをしないでいい状況を作り上げる(笑)

前世のことなどあまり考えたことがないけれど、コツメは、私のお母さんだったに違いないと思うのだ。
たとえば、夜中にコツメが目を覚ましたときなど、目があうと、ニッコリ笑ってやるのだけど、コツメもニッコリ笑い、それだけではなく、手を伸ばしてきて、トントンしてくれる。

?? (逆やろー)

ほかにも、たまに、びっくりするくらい、お姉さんっぽいセリフを言ってくれたりして、泣かせるし、笑わせる。
わたしは、「コツメ前世お母さん説」をけっこう気にいっている。


というわけで、今回のギックリ腰は、たぶん、コツメの仕業。おそるべし。
コツメの夢は、「魔女になりたい」そうだから。


浜田えみな


(ロルフィング#9につづく)


******


過去のロルフィング記録の見出し


#1~#3 「ゼロのおまけ ~ロルフィング」


ココロが忘れても、カラダが覚えている
カラダが忘れても、ココロが覚えている


ひとりでがんばりすぎないこと
つながっていること
まかせていいとリラックスすること
ゆだねていいと力を抜くこと
ないがしろにしていたものを、たいせつにすること
自分のからだをいつくしむこと


カラダとココロに同時にはたらきかけると、最強になること


***


施術後の変化 「パーマ そしてスカート」


とても簡単なことなんだ
世界を変えることも
こだわりを捨てることも


もういらないものを、
手放すことも


***


ロルフィング #4 「今! 今! 今!」

今を生きる。ここに生きる。

歩くたびに、軸がとおる。
歩くたびに、今とつながる。


わたしはここに生きていますと。


***


ロルフィング #5 「出口と滑車」


骨盤は滑車みたいだ
骨盤の中に、滑車を抱いている
全身にエネルギーを伝えるベルトが
太くしなやかにまわり続けている


歩くたびに、感じられる
自分の軸を。自分のエネルギーを
歩くたびに、刻みつけている
自分の今を


歩けば歩くほど癒されていく
出口があれば循環する


***


ロルフィング #6 「仙骨のRestart」


仙骨が「器」であり「世界」であり
「宇宙」であることがわかった


仙骨は
湧きつづける「泉」だった
満ちあふれる「源」だった


どんなときでも、
「変化」は、より幸せになるために起きることを、
確信したかった。


新しく生まれた仙骨に、
大地から「今」のノックがとどく


***


ロルフィング #7 「願う」


自分のからだが
大宇宙の通り道となるたびに、
浄化され、潤い、満たされてゆく


支えられ、守られていることに気づきながら、
そそぎ、与え、かえしていく


ゆるぎのない自分
そのことが約束されるのだとしたら


***


#1~#3は、吉井春樹さんつながりで、京都で活動されている ロルファーの毛利綾都(あやか)さん にセッションしていただきました。


その後、京都に通うことが難しくなったので、大阪で続けられるところを紹介していただき、現在は、ロルフィング大阪 の川合律子さんにセッションしていただいてます。

律子さんは女性限定でセッションされているので、男性のかたは、御主人の新田忍さんがセッションしてくださいます。リクトは、中学生になり、新田先生のセッションをスタートしました。

ロルフィングについて、関心のあるかたは、お問い合わせください。