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知り合いの方から届く「ちょっといい話」シリーズに、揺さぶられるような話がありましたのでシェアさせていただきます。


福島正伸先生の「キミが働く理由」より



福島先生は難病の子供達の応援もされていて
そのなかである女の子の写真を見たときに
とても驚かれたのだそうです。


その子は鉄パイプみたいなもので包み込まれていて
頭は鉄の輪で止められていとてもつらそうな姿に
見えました。


しかし、その子が笑顔だったのです。

「なんで、こんなに笑顔でいられるのですか?」
と介護の方に聞くと
「お母さんのためだ」というのです。


お母さんはその子の姿を見ると
いつも泣き崩れてしまいます。

その子はそういうお母さんの
姿をみるのがつらかった
お母さんには笑顔で
きれいで、元気でいて欲しかった。

だからその子はお母さんが
くると笑顔で迎えるようになりました。


しかも、お母さんのために
童話をつくるようになりました。

そのなかで「強い子」という
おはなしがあります。


彼女が生まれる前に
神様に呼ばれました。

神様が生まれる前の赤ちゃん
ひとりひとりに
プレゼントを配っています。

願えばどんなプレゼントでも
もらえます。


そして彼女の番になりました。

ところが彼女は
まだプレゼントをきめていません。


たまたま神様の後ろに
「重い病気」という
プレゼントが隠すように
置いてありました。


「これはいったい。
どんなプレゼントなの?」


「これはすごく
苦しいプレゼントだよ。」


「誰がもらえるの?」


「それは一番強い子だ。
生まれてからすごく苦しむから
一番強い子にしか
あげられないんだ。」


「苦しむんだよね。
それなら他の子にあげないで
私が一番強い子だから。
私なら耐えられるから、
他の子にはあげないでください。」


「そうか、君が一番強い子なんだね。
君が来るのを待ってだんだ。」


そうやって神様がくれたのが
このプレゼント。


「だから、私が誰よりも
一番強い子なんだよ。」

とお母さんに話しました。

今日は楽しい一日でした。

勉強仲間とホームパーティ♪

ステキなお宅にお邪魔してたくさんのお料理に囲まれて。

勉強仲間だからか? NLPっていうプログラムに一緒に取り組んだからか? どうも打ち解けるのが早かった(笑) 気取らず壁の薄い関係でとても楽で楽しい。まるで遠足のような一日だった。感謝です。


最近は心の分析を書いていくのに必死で、あまり日常のことを書かなくなったが、それなりに楽しいバラエティに富んだ日々を送っています。

またちょこちょこそういう日常も書いていきたいな~



さて、今回は子供の吸収力の高さについて感じたことを書きます。


子供が柔軟に物事を吸収していくのは、「価値観」がまだできていないからだと思う。

これは心に限って言っているのではない。

体の使い方を含め、まだ「クセ」ができていないことを指す。


「価値観」と言い切ってしまうとおかしいかもしれないが、ようは比較の基準ができているかどうかということだ。


4歳、5歳のうちの英語教室の生徒たちが、発音を完ぺきにマスターしていく姿、いとも簡単に日本語にない発音を言いこなしていくのを見て、そう思った。


中学生ともなると、そうはいかない。

何度練習しても超えられない壁というものがある。

仕方なしにいったんカタカナで発音に近いものを言ってみてから、少しずつ本物の発音に近づけていくということを試してみたりするありさまだ。


幼子たちには、なんの障害もない事柄でも、大人に近づくにつれ、難しくなってくることがある。


体に起こることは基本的には心にも起こると思う。

では、この子供の吸収力の高さが価値観の有無からきていると仮定してみよう。

大人にはどうこの仮定を利用できるだろうか?


大人はすでに「価値観」が体にも脳にも心にも、まるで血管を通して配られたごとく浸透しているという現実がある。

これを打破するためには、自分の価値観がなんであり、世界には他にどんな価値観があるのかを知る必要があると思う。

見えると、少しでも手の打ちようが計画できるからだ。


ある一つの価値観で固まった体と心というのは、まるで体を曲げることがきつい、固い体のようなものだ。

つまり、動ける可動域が狭いということがあると思う。


人間年取ってくると、体は固くなり、可動域は狭くなる。

これは心も同じことだと思うのだ。

心は体と違い衰えないとは思うのだが、体と同じように可動域が狭くなることはあると思う。

ある一定方向の価値観でしかものを見れなくなったり・・・


子供の吸収力をまねたいものだ。

素直に吸収するさまは、それだけで美しい。

発音の微妙な音の違いを読み取っていくところが、なんともかわいい。

一所懸命なようで、肩が張ってない。



素直。

・・・このひとつの難しさを想い、人間の可能性に心が熱くなる。

子供って、それだけで素晴らしい。

それだけで美しい。


価値観とは、檻のようなものだ。

自分自身が価値観をひとつひとつ手に入れていっているように、人は考えがちだが、実は自分がそれぞれの檻に飛び込んで行っているのだ。

何重にも重なった檻はその人の動きを阻害する。

可動域が狭くなるのはそのせいだ。


まだ価値観のついていない美しい子供たち。

その美しさを愛でる心でいたいとは思う。


『六人の男たち』 ディビッド=マッキー作  なかむらこうぞう訳   偕成社 1975


 むかし、六人の男たちがいました。

 男たちは、平和に働いて暮らすことのできる土地を求めて、長い間、歩き続けていました。


 長いこと探し回った末、ようやく、六人はよく肥えた土地を見つけ、そこに住みつくことにしました。

 みんんがせっせと働きました。

 畑を耕し、家を建て、次第に金持ちになっていきました。


 ところが、だんだん金持ちになるにつれて、六人の男たちは、心配になり始めました。

 泥棒がやってきて、せっかくのたくわえたものをさらっていきはしないかと、気になりだしたのです。

 そこで男たちは、高い塔を建て、敵を見張ることにしました。

 少しでも怪しい物音がすると、そのたびにかけていっては、塔にのぼってみるのでした。


 そのうち、みんなは、そんなことをするのに飽き飽きしてきました。

 ある日、相談の結果、それでは自分たちの財産を守るために番兵をおこうと、いうことになりました。


 六人の男たちは、みるからに強そうな六人の兵隊を雇いました。

 これからは、なにかめんどうなことが起こると、その兵隊たちが出かけてゆけばよいのです。


 ところが、泥棒どもは、いっこうにやってきません。

 兵隊たちは、なにもすることがないので、すっかり退屈して、ただごろごろ寝そべっているだけです。

 六人の男たちは、また心配になってきました。


 今度は兵隊たちが戦い方を忘れはしないかと、気になりだしたのです。それに、なにもしない兵隊にお金を払わなくてはいけないということも、悩みの種でした。そこで男たちは、なにかいい方法はないかと、あれこれ考えました。


 近くに、他の人たちが住んでいる農場がありました。

 六人の男たちは、それに目をつけて、その農場を乗っ取るために、平和に暮らしていたそこの農民たちは、さっさと逃げていったのです。

 この戦いで、兵隊たちは力のほどを示したし、おまけに土地は増えるしで、ようやく六人の男たちは、心配がなくなりました。

 

 ところが今度は、もっと強く、もっと金持ちになりたいという気持ちが湧いてきたのです。


 まもなく、兵隊たちは、近くにある農場という農場を次々と、ひとつ残らず占領するように命令されました。これらの農場の農民たちの中には、抵抗して殺されるものもありましたが、降参して六人の男のために働くことを承知するものもありました。


 六人の男たちは、ますます多くの土地を占領し、ますます金持ちになるにつれて、もっともっと大勢の兵士を雇わなくてはならなくなりました。


 この軍隊は、さらに多くの土地を占領し、とうとう六人の男たちは、この地方を大きな川のところまで治めることになりました。


 降参したくない農民たちは、川を渡って、逃げていきました。

 そして川の向こう側で、せっせと働き、幸福に暮らしました。


 この人たちのたった一つの心配は、あの六人の男たちの軍隊が、川を渡って、攻めてくるのではないか、というものでした。

 そこで、この農民たちは、敵を防ぐために、みんなが力を合わせることで決めました。そして二つのグループに分かれました。


 二つのグループが、かわりばんこに、戦争のための訓練をしたり、畑を耕したりするのです。

 こうして誰もが、敵の攻撃にそなえました。


 六人の男たちは、川岸に一人の番兵を立てました。

 

 すると川の向こう側でも、同じように、一人の番兵を立てました。


 しばらくの間は、なにごともなく、おだやかに過ぎました。

 両方の番兵は、手持ち無沙汰でした。


 ところがある日、一羽のカモが川に飛んできました。

 両方の番兵が、それを見ました。

 両方の番兵が、それを狙って、矢を放ちました。

 が、両方の番兵とも、失敗しました。


 それた二つの矢は、うなりを発し、川を横切って飛んでいきました。


 すると、両方の番兵とも、自分が敵に狙われてたのだと思って、ラッパを吹いて、危険を知らせました。


 両方から完全に武装した軍隊が繰り出され、大きな戦いが始まりました。


 川の上と、川の両岸で、激しい戦いが、何日も続いて、そして・・・・・・


 戦いが終わったときには、生き残っているものといったら・・・・・・


 ただ、川の両側に、六人の男たちがいるだけでした。

 川の両側の六人の男たちは、それぞれ反対の方向に立ち去り、平和に働いて暮らすことのできる土地を求めて、歩き続けるのでした。



おしまい。