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斉藤孝さんの「人はなぜ学ばなければならないのか」 という本を今読んでいる途中です。


途中なのに感想を書きたくなった。

とっても勉強になります!


この斉藤孝さんは、素晴らしい!

前から好きでよくこの人の本は読んでいるが、この新しい著書も最高におもしろい。


国語を教えるにしても、数学を教えるにしても、バイオリンを教えるにしても、ヨガを教えるにしても・・・・共通して知っておかなければならないことがある。


コミュニケーションだ。


数学とのコミュニケーション、生徒とのコミュニケーション、自分とのコミュニケーション、これらが確立されている方がよりよい形を提供できるだろう。


言い方を変えると、「人間力」かな。


人間としてどうかって追及していくことは、人生の目的でもあり、どんなことにも影響のある意識しておかなければならないものだと思う。


斉藤孝さんは、「人生のデザイン」とも言っているが、人生を見通すことの重要性を唱えている。


また、「学びの基本は自分の固定観念を崩し続けること」

「子供たちをどう揺さぶるか」

など、興味深い視点ばかりで、この本を読むことが私の学びになっています。


彼は、広い様々な分野を知識として取り入れて、自分の中で捏ねて自分のパンを作っている。

自分の学ぶべき知識が何かをきちんと自分の中で位置づけして、視点を限定している。


仏教のアルボムッレ・スマナサーラスリランカ上座仏教長老が、言っています。

能力開発の方法の第一が、妄想をやめることだと。


自分の視点を決めて、他の妄想を抑えることは、目標に向かう時にとても大事な第一歩となるでしょう。




今日は、行きつけのジムでたっぷり踊ってきました(笑)

イベントだったのですが、楽しすぎて脳の血管が切れそうでした。

いい時間、いい空間を感謝します。



人はすぐ自分と対峙する相手を、いい人間か悪い人間かに分類しようとする。

自分にとってこの人はいい人だから付き合っていきたい。

この人はこんな悪いところがあるから、もう関係は切るべきだ。

そんな感じだろう。


そもそもいい人か悪い人かに分けるから、ショックはやってくる。

「いい人だと思っていたのに・・」

「そんなことする人とは思わなかった」

裏切られるときは必ずやってくる。


人はいい人間と悪い人間に分けられるものではない。

人一人の中に、「いい人間」と「悪い人間」は両方存在しているのだ。

そしてそれは自分にとって、いい人間であり、悪い人間だということになる。

向き合う相手が本当の意味で、いい人間であるかどうかなんて自分には決定できる権限がそもそもない。

権限がないのだから、判断しなければいい。


難しいことだろうが、それが楽に人と渡り合っていく方法ではないだろうか?


人のためを思い行動することは美しい。

しかし、利己的に行動もする。それが人間だ。

できるだけ利己的さを減らしていけばいい。今はできる限りでいい。


自分でさえそうなのだから、他人ができていなくても責めてはいけない。

裏切られたと感じるのは、自分がその相手に期待していたからだ。

そうわかっていてもどうしてもショックを受けてしまうのを防げないのであれば、それは今の自分の等身大だから仕方ないのだ。

ないものは出せない。

仕方ないのかもしれないよ。

次はもうちょっと頑張ればいいかもしれない。

これからは違うとらえ方ができるかもしれないしね。



向かい合う相手はいい人ではないよ。それは期待。

向かい合う相手は悪い人ではないよ。誰にとって?って話。



向かい合う人を誰かと比較してみなければ、楽に付き合えるんだろうな~

自分の価値観に照らし合わせてみなければ、もっとステキな部分に気づく素直さが出てくるかもしれないね。



大事な友人はいつもいい人ではないよ。

状況によって七変化する可能性のある一人の人間だよ。



悪い人だと遠ざけている人は、いつもいつも悪いわけではないよ。

きっと優しさもあるし、人を思いやる気持ちも持ち合わせているよ。

ただ合わないだけかもね。ただ嫌いなだけかもね。

そしてそれは自分サイドの勝手な言い分。
それだけは心しておきたい。



友情を信じるっていうのは、相手が自分を裏切らないことを信じるというものではいけないよ。

自分自身が相手を裏切らない覚悟のことを指すのだと思います。



結婚関係もしかり。

親子関係もしかり。


人間関係にも、覚悟は必要ですね。









人はみんな潜在意識の中では、自分に100点をつけている。

上に乗っかっている小さな顕在意識としては100点とは言わないまでも、40点から時には80点をつけている。

これは比較によるものでもあると思う。


人の潜在意識は他人をそこまで確かに認識するのは難しいのではないかな?

自分しかいない世界・・・それが潜在意識ではないかと私は思うんだ。

だから100点が基準だ。100点で当たり前。自分が1だから、当然の点数だと思うのだ。


顕在意識はそれを受けて、たとえば40点を自己評価としていても、無意識である潜在意識は100点なので、チラチラと上がってくる意識を防ぐすべもなく、40点の背景は100点であるのだ。

40点・・・でも100点。それが真実だと思うのだ。


そして潜在意識は顕在意識がウソをつくことが大嫌いなので、葛藤が起こりストレスとなる。

「40点? バカな!100点だろうが!」ってなところである。


「私ってダメな人間だ」「どうしてできないんだろう」・・・なんてのは、100点のはずなのに40点だというギャップから起こる葛藤だと思う。



言いたいことは実はここからです。(笑) また長くなりそう~


自分の瞬間的な心の変化を見ていくと、とっても自分が偉いと思っていることがわかる。

だって100点なんだもん。当然だ。


人と向かい合う時、相手の一言一言、態度や行動に常にこの点数が落とされるかもしれない危険が付きまとっている。

問題は自分で100点をあげれていないところにまずはある。(顕在意識が)

他人に評価を委ねたいという潜在意識の欲求が、ちょっとした他人への依存を常に持っていると思うのだ。

だけど、他人は自分の評価を下げてしまう時ももちろんあるので、いつも怒りを溜めてしまうメカニズムになっているところがあると思うのだ。


そして相手に対して自分が怒ってることになかなか気づかない。。。

潜在意識は価値観で覆われているから、自分が相手によって傷ついたことは認めない。

もちろんちょっとしたことならの話ならだが。


潜在意識が100点をつけていることは簡単には操作できないので、せめて顕在意識はそのことを知っていることが大事だと思う。

そして向かい合う相手も100点持ちだということを忘れてはならない。


この世を生きるというのは辛いことだ。

人生は辛いのだ。

だって100点なんだもの。それをキープできるはずはない。

いつも失望感にさいなまれる。いつも葛藤はある。


大前提として、人生は辛いものだと思っておいた方がいい。

辛ければ、楽も登場するからだ。

辛いことの振れ幅に相当する楽・・「楽しい」ことはやってくる。

だから大前提として、人生は辛いものであるべきなのだ。


自分の中で整えられない矛盾・・・・他人に向けられるのは、これを補ってほしい気持ちだ。

先に向かい合う人を褒めてあげよう。

先に認めてあげよう。

さすれば、相手も私を褒めてくれるし、認めてくれる。

そうでない相手なら、相手自身に問題があるかもしれない。

自分との関係性の中に問題はあるかもしれない。

それは次の話。


まずは相手を認めてあげること。

それは自分と同じように100点を持つ相手。

相手も無意識に私に認めてもらうことや肯定してもらうことを求めている。

人は鏡のような対応をするものなのだから、相手を肯定すると、私も肯定される。


自分一人っきりでいると、自分の潜在意識の100点は常に肯定されないから、病みやすくなるのだ。

とっても疲れたときはもちろん人間関係化から離れての休憩も必要だが、基本的には人生は辛いものだと割り切って、人の渦に飛び込んでいく方が、健康的にはいいと思う。

もちろん顕在意識の自己評価が80点と高い人だと、他人とかかわるごとに80点は下げられてしまい、よりしんどいと感じるかもしれない。

その場合、少ない人間関係でいいのだという納得を持つこともいいのでしょうね。

自分が自分に納得していればいいのだと思います。


あ”~! 書くのって難しい!!

だんだん混乱してきた。

もっとわかりやすくしたい。

次は「悪い人といい人」を書きます。

これが本当は書きたかったのに、前提を書いているだけで長くなりすぎて終わってしまった。。。