自分の自尊心の高さには驚くほどだ。
いったいいつ育てたのか。どうやって育んだのか。
高く積み上げられたプライドは壁となって私の前に立ちはだかる。
怒り。
強く大きな怒りが体の底から湧きあがる。
社会に対してだってクソ喰らえな怒りを持っている。
なぜなら自尊心を踏みつけられたからだ。それだけは許せない。
みんな自分をたばかってる。本当は許せてなどいないのに。
平気な顔をしてるだけ。その方が生きやすいと知っているからだ。
本当は許せるものではない。
もし・・許せるという人がいるのなら、その人には後光が差しているはず。
そう。怒りは常にあるのだ。いつも私と共にある。
悲しみも空しさも全部が怒りだ。生きている以上、怒りを育てていることに他ならないものなのだ。
ないと思っていた自尊心は私の中にだって実は隠されていた。ちゃんと健全な一人の人間分、私の中にあった。
見えてきた、自分のことが。露呈し剥がされていく自分自身がどんなものだったかよく見える。
自分を信じることで今まで裏切っていた。本当は龍なのに普段は人の形をしてる昔話のように。
長い間人の形をしていたから、自分まで騙していた。
龍であることを忘れていた。
自分でないものすべてに怒りを感じる。強い怒り。
自分と世界を分けているものに怒りを抱く。
私を大事にしない世界に純粋な怒りを感じる。
すごい力があるんだな。人一人に込められた大きなパワーに感動を覚えるほどの澄み切った怒りだ。
これはすごいぞと思う。
最近食べたものたちが私の中で暴れている。それらは力を持っている。
私が経験したことたちは私の中で化学反応を起こして怒りへと導く。
私というものを形成しているものたちが、私の中で蠢いている。ぶつぶつと怒りの発酵に忙しい。
恥。
恥はその怒りを超える量を抱えている。
プライドを踏みつけられて生み出された怒りの量だけ、恥がある。
怒れば後に必ず自分を恥じる。苦しみぬくのは恥じる心があるからだ。
自分を責めたて刺しえぐる。恥を知るのだと大声で言い聞かせる。
自我をコントロールするために生まれたであろう超自我は、怒りを静めるためにそんなひどい感情を産んだのか。
自分を抑制するために生み出された恥の心。
いつも怒りの先回りをして怒りを表舞台に出してさえくれはしない。
押さえつけ闇に閉じ込めるのが上手だ。
恥じる気持ちは冷静さを取り戻すためなのか。
それとも感謝の気持ちを育むためにあるのか。
怒りが私を鞭打ち興奮させ、恥がライオンだった私を子猫に変える。
そして恥の方がいつも多いのだ。だって先に怒りがあるから。
自分のしてきたことを恥・恥・恥。
そして確かにある怒りを認識する。
未来など見えない。過去の自分が見え始めているに過ぎない。
今の私はどうなのだろう?
愚かさが恐ろしい。
過去を後悔などしない。その時は精一杯生きてきた。今はその延長線上にあるのだ。
すべてはしかたない。
ただ・・・そこに存在した怒りを知り、恥じるまでだ。
生きるのって辛いものなのかもしれない・・・
血が体を駆け巡るのを感じて、生きていると知る。
それだけでよかったのかもしれないな。
生きるのが楽しい時もあった・・・
心がどこにあるかわからないぐらい浮遊していたからだ。
ただ浮遊していただけのことだが、それで幸せならよかったのかもしれないな。
命の火が消える日まで続いていく、怒りと恥の連鎖をどうにかしたい。
逃げられないのならせめて、知っておきたい。今どういう状態なのかを。
知っておけば必要以上に恥じて刺し傷を無意味に増やし過ぎなくていいから。
知っておけば怒っている間は怒りを開放してやる術を見つけてやれるから。
道のりはまだまだ遠そうだ。