自尊心って難しい。プライドと自尊心はめちゃくちゃ紙一重。 | 毎日楽しく生きていこう♡

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バツ2アラフィフシングルマザーです。
2023年7月、心理カウンセラーの資格を取得しました。
どうせなら毎日楽しく生きたいよね♡
毎日を楽しくするためのマインドを伝えていきたいと思ってます。

 

 

今週のミセスのラジオ「ミセスLOCKS」で「コロンブス」が流れてきたの。

嬉しかったな。

メンバーからは「コロンブス」については触れられていなかったけど、でもラジオで流してくれたことが嬉しい。

テレビでも聞ける日がくると良いな。

 

 

「アポロドロス」も流してくれたよ。

来週は「アポロドロス」について話してくれるらしい。

 

 

「混汁」いじりも面白かった。

 

 

ギターの若井くんの名前は「滉斗」と書くのだけど、ネット記事で「若井混汁」と書かれてしまったらしい。

一発では変換できない漢字だとは思うけど、だからってあまりにも間違えすぎよね。

 

 

でもそれもわちゃわちゃ笑って話せる3人が好き。

 

 

今回私が一番心に残ったのは

 

 

 

16歳のミセスが大好きな女の子からのお手紙で

 

 

今人を信じられなくなっていて、人と関わることを避けています。

話したくないし、話しかけられたくもない。

信じるつもりもない。

めちゃくちゃ今尖ってます。

 

 

という内容のものだったの。

 

 

その時のもっくんの言葉が素晴らしいなって思ったんだ。

 

 

抜け出さすとかじゃないでしょ。

この子は今困ってないじゃん。

 

 

「関わることを避けてます。

話したくないし、話しかけられたくもない。

信じるつもりもないです」

というお便りだからこの子は困ってないよ。

 

 

LOCKSは自分の言えないこととか、居場所とまだ思えないみたいな

自分の中の天邪鬼な自分というか素直になれない部分を吐露する場所だから

そういう気持ちを言ってくれるのは全然いいと思うし、めちゃくちゃ有難いけどね。

 

 

でも最近思うんだけど、自尊心ってむずい。

プライドと自尊心はめちゃくちゃ紙一重だなと思っていて

自負と自尊心という「自分を愛おしく尊いと思える気持ち」や

自分を大切にしたいという「自愛の精神」というものが世間的に強まっている傾向にあるけど、

自分自分だと・・・

「ケセラセラ」という楽曲で「生まれ変わっても私でありたい」と歌っている我々がこういうことを言うのも非常に変な話なんだけど、あの根本は「僕は生まれ変わったら自分と言えるかわからないから自分と言えるように高らかにここで歌っておこう」というその反動がでかい。

 

 

今、私は、俺は、みたいな自分を承認してくれる「何か」が外部にはないから、自分で自分を認めざるを得ない瞬間があるし、そうでありたいと思っていて、でもそれがいつの間にか「プライド」になったり、「自愛」になりすぎたりして、生きていきにくい人がたくさんいると思うんだけど

 

だから、この子が拗れないことを祈るかな。

「信じるつもりもないです」まで言い切っちゃうのは全然自然だと思うんだ。

そういう時期があっていいと思うけど、いつか信じられない自分に嫌気がさすくらいだったら、早めに素直になった方がいいぞって思うかな。

 

 

 

と言っていたの。

 

 

私がもっくんはすごいなって思った部分は

 

 

まずは

 

否定をしていないこと。

本人の気持ちを尊重出来てること。

 

なんだよね。

 

 

今の状態に理解を示した上で、「こうなるくらいだったら、こうなれたらいいよね」ということを伝えてる。

すんばらしいなって思ったの。

 

 

それが出来るのは、もっくん自身が深く内省してきたからなんだろうなって思ったの。

まだ27歳なのにすごいわ。

 

 

 

うろ覚えなんだけど

ケセラセラの歌詞は最初は

 

生まれ変われない

まだ私だね

 

だったのが

 

 

生まれ変わるなら

また私だね

 

 

に変更したという話を聞いたことがあるので、もっくん自身の中にも「天邪鬼で素直になれない自分」がいるんだけど、頑張って素直になろうとしてるのかなって思ったんだ。

 

 

 

少しずつ素直になれてきたからこそ、去年にリリースしたアルバムの中で

こんなストレートに「愛してる」って言えるようになったということなのかな?

この「BFF」という曲はおそらく、ひろばと涼ちゃんに向けだ曲なんだと思うんだ。

事実はわからないけど。

めっちゃ良い曲よ。

 

 

 

 

そういうもっくんの内面の苦悩のようなものと

それを乗り越え成長していく様が歌詞に反映されているから

 

 

だから私は

大森元貴という人間に

大森元貴が作り出す楽曲に

めちゃくちゃ惹かれるんだよね。

 

 

 

で、私ももっくんが言っているように

 

自尊心とプライドはめちゃくちゃ紙一重だ

 

と思っているんだ。

 

 

私も最近は「自尊心」って人によって捉え方が違うから難しいよなと思うようになってきてて、

あまりブログでは使わなくなってきたんだよね。

 

 

ちなみにもっくんのワードから出てきた言葉の意味はこちら。

 

自分の人格を大切にする気持ち。また、自分の思想や言動などに自信をもち、他からの干渉を排除する態度。プライド。「—を傷つけられる」

 

 

誇り。自尊心。自負心。「—を傷つける」「仕事に—をもつ」

 

 

誇ること。名誉に感じること。また、その心。「一家の—」「—を傷つけられる」

 

 

自分の才能・知識・業績などに自信と誇りを持つこと。「プロであると—している」

 

 

 自分を大切にすること。自分の健康状態に気をつけること。「時節柄ご—ください」

 

 

 

どれもこれも自分の人生を楽しく生きていくためには必要な心持ちだよね。

 

 

 

だけど、自己評価が高すぎてしまい自信ばかり持ちすぎてしまうと、他人の意見が耳に入りにくくなってしまったり、他人を見下してしまったり、他人を責めてしまうことにも繋がってしまう。

 

 

逆に自己評価が低すぎてしまうと、自信が持てずに他人の意見や評価に振り回されてしまい、一番大事な自分の気持ちがおざなりになってしまう。

 

 

 

だから、「自尊心を強く持つこと」は大事だと思っているのだけど、「自尊心」という言葉の意味の捉え方次第で解釈が分かれてしまう恐れがあるので、「自尊心」という言葉は扱いにくいなって思うようになったんだ。

 

 

 

goo国語辞書によると自尊心の意味は下記だ。

自分の人格を大切にする気持ち。

また、自分の思想や言動などに自信をもち、他からの干渉を排除する態度。プライド。

 

 

自分の人格を大切にする気持ちは大事だ。

でも、自分の思想や言動に自信を持つあまり、他からの干渉を過剰に排除する態度は自分の首を絞める結果にもなりかねない。

 

 

 

それは、他者の人格も大事だし、他者の意見も大事だからだ。

だから、他からの干渉を排除するのではなく、尊重し合えたら良いよねって私は思っている。

 

 

 

この自分の人格と他者の人格を両方大事にして、尊重し合える態度や心持ちが自分の人生を生きやすくするには大事なのだろうな。

 

 

 

私は自尊心とは「ありのままの自分を尊重し受け入れる態度」で
「良いところも悪いところも含めて自分は今の自分のままでここに存在していていい」と思えることだと思っている。

自尊心とは

 

他人からの評価ではなく、自分が自分をどう思うのか。

どう感じるのか。

 

 

とういうことだ。

 

ありのままの自分を尊重し受け入れる

 

態度なんだよね。

 

 

 

他人の評価は関係なく

自分の良いところも悪いところも含めて自分を愛おしく尊いと思えることだと思っている。

 

 

自分の優れた部分だけに誇りを持つのではなく

自分が優れていない部分を責めることもなく

よろしいところも

よろしくないところがあっても

自分のことは愛おしいし、一人の尊い人間なんだ!

と思える心持ちを持つこと

 

 

 

 

自己評価が高すぎる人

自分の優れた部分を誇りに思うことはそんなに難しいことではないと思うけど

自分のよろしくないと思える部分を認めて受け入れることは結構難しいよね。

 

 

良いところだけを認めて、よろしくないところから目を背けてしまうと、自分の良いところにしか目がいきにくくなる。

無意識にそこしか見ないようにしてしまう。

よろしくないところを認めるのは耐え難い行為なので、避けたいからだ。

よって自己評価が高くなりすぎてしまう。

あまりに自己評価が高くなりすぎてしまうと、自分が思う自分と他者から思われてる自分に齟齬が生じてしまい、

 

 

私はこんなに優れてるのに他人はわかってない。

見る目がない。

 

 

と、他者を責めたり、馬鹿にしたり、嘲笑ったりしてしまいがち。

つまり他責思考になってしまう。

 

 

 

自己評価が低すぎる人

自分には優れた部分なんてないと勘違いしてしまっていて

自分にはよろしくない部分しかないと思い込んでいるから

自分のよろしくないと思える部分ばかりを探し、目ざとく見つけては

「ほらね、やっぱり私はダメな人間なんだ」って決めつけようとしがち。

 

 

 

自己評価が低くなり過ぎてしまうと、常に自分のよろしくない部分ばかりに目がいってしまうし、その部分を自分が自分で責めてしまっているから、他者に良いところを褒められても信じることが出来ずに

 

 

お世辞を言ってるんでしょ。

私なんて良いところがないからお世辞を言うしかないものね。

どうせ私はダメな人間ですよ。

 

 

というように卑屈な考えに偏ってしまい、自責の念ばかりが強くなってしまう。

 

 

 

このように

 

 

自己評価が高すぎても

自己評価が低すぎても

生きづらくなってしまうんだよね。

 

 

 

だから毎日楽しく生きていくためにも

良いところも

よろしくないところも

認めて受け入れた上で

自分を愛し、自分を尊重出来る心持ちを持ってほしい

と思っているんだ。

 

 

 

ただ、良いところもよろしくないところも認められるような心のバランスを保つことはなかなか難しいから

人は悩みもがき苦しんでしまう。

 

 

特に思春期の頃は

 

 

自分とは?

自分はなぜ生まれてきたのだろう?

自分が生きる意味とは?

 

 

ということを考える時期でもあるよね。

だから余計に悩み苦しむし、なかなか答えも見つからない。

 

 

でも、苦しいけど、しんどいけど、自分と向き合うことは成長過程には必要なことだと私は思ってる。

 

 

自分と向き合う過程で少しずつ

自分の良いところも

自分のよろしくないところも

認めて受け入れて

ありのままの自分を愛おしく感じられるようになるのだろう

 

 

 

自分の良いところに自信を持つことは素晴らしいことだよ。

ただ、その自信が驕りになってしまい、他者を見下してしまうのはよろしくないよね。

それがプライドが高すぎるという表現になるのかな。

 

 

 

自分の良いところにしか目がいかなくなってしまうのは、ありのままの自分を認められていないということだ。

自分のよろしくないところも認めて受け入れられるようになると自尊心のバランスが整っていくのかなと私は思ってる。

 

 

 

 

逆に自分には「良いところなんてない」

と思ってしまい自信が持ててない人は、自信がないままでいいから、褒めてもらえたり評価してもらえたときは、素直に「ありがとう」って言えるようになれたら、自然と自分自身も認められるようになっていくと思うんだ。

 

 

 

そして、よろしくないところがあっても過剰に自分を責めすぎない。

責めすぎてしまうと心が委縮してしまって本来の能力が出せなくなる可能性があるからね。

 

 

 

責めすぎず、でも、反省はしていこう。

そして、同じ間違いをしないように気を付けていけば、自分には乗り越える力があるのだと思えるようなっていく。

それが自信に繋がっていくよ。

 

 

 

 

良いところも悪いところも含めたありのままの自分を認めて受け入れることが出来るようになると

他者の良いところも悪いところも含めた人格も尊重出来るように自然となっていく。

不思議とね。

 

 

そして、どうしても相容れない人とは自分の心が疲弊しないように適切な距離を置けるようにもなっていく。

 

 

 

どんな自分も愛おしく尊い一人の人間だと思えるようになれたら、だいぶ生きやすくなっていくよ。

 

 

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私はどんな自分のことも愛おしく尊いと思っているし

どんな彼も愛おしく尊いすんばらしい人だと思っている。

 

 

だから

 

私自身のことも

彼のことも

 

 

信じることができているんだよ。

 

 

信じる気持ちが愛する気持ちにも繋がっていってるのだろう。

そういう心持ちでいられてるから、毎日楽しく幸せに過ごせてるのかなって思ってるよ。