Mrs.GREEN APPLEのコロンブスMVについて | 毎日楽しく生きていこう♡

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バツ2アラフィフシングルマザーです。
2023年7月、心理カウンセラーの資格を取得しました。
どうせなら毎日楽しく生きたいよね♡
毎日を楽しくするためのマインドを伝えていきたいと思ってます。

 

 

昨日の夜ミセスの最新曲「コロンブス」のMVを観ようとしたら公開停止になっていた。

なんでよ!と思ったら炎上していたらしい。

 

 

 

そしてもっくんは下記のように謝罪していた。

私はこの謝罪文、素直に配慮不足だということを自分の言葉で謝罪してる点がめちゃくちゃかっこいいなって思ったんだ。

しかも対応も早いよね。

 

Mrs. GREEN APPLE 「コロンブス」ミュージックビデオについて

 

「コロンブス」のMusic Videoを制作するにあたり、

・年代別の歴史上の人物

・類人猿

・ホームパーティー

・楽しげなMV

という主なキーワードを、初期構想として提案しました。

 

類人猿が登場することに関しては、差別的な表現に見えてしまう恐れがあるという懸念を当初から感じておりましたが、類人猿を人に見立てたなどの意図は全く無く、ただただ年代の異なる生命がホームパーティーをするというイメージをしておりました。

 

しかしながら、意図とは異なる伝わり方もするかもしれないと思い、スタッフと確認し合い、事前に特殊メイクのニュアンス、衣装、演じ方のフォロー、監修をしていたつもりではおりましたが、そもそもの大きな題材として不快な思いをされた方に深くお詫び申し上げます。

 

決して差別的な内容にしたい、悲惨な歴史を肯定するものにしたいという意図はありませんでしたが、上記のキーワードが意図と異なる形で線で繋がった時に何を連想させるのか、あらゆる可能性を指摘して別軸の案まで至らなかった我々の配慮不足が何よりの原因です。

 

「コロンブスの卵」というキーワードから制作に取り掛かり、前向きにワクワクできる映像にしたいという気持ちが、リスクへの配慮をあやふやにし、影響を及ぼしてしまったと認識しております。

 

こちらの意図する物語の展開としては、歴史的時間軸は存在せず、類人猿も人の祖先として描きたかった。そして時間の垣根を越えてホームパーティーをする。

これはあり得ない話であり、あくまでフィクションとしての映像作品であると。

ただ、ある事象を、歴史を彷彿とさせてしまうMVであったというご指摘を真摯に受け止め猛省しております。

 

この度は本当に申し訳ございませんでした。

以後このようなことが無いよう、細心の注意を払い、表現することに対して誠実に、精進してまいりたいと存じます。

 

Mrs. GREEN APPLE 大森元貴

 

 

 

私は、ゆで卵を立たせたという「コロンブスの卵」の逸話?やアメリカ大陸発見の偉業を成し遂げた英雄であると言われていたことはうっすらとした知識ではあったけど、近年はコロンブスの一団が先住地を侵略・植民地化し、先住人を奴隷として扱ったと認識されるようになっていたことを知らなかった。

 

 

 

コロンブスがアメリカ大陸の発見および到着した日をコロンブスの日、もしくはコロンバス・デーとしてアメリカの祝祭日としているが、それも取りやめる動きもあるらしい。

そんなことも私は知らなかった。

だから、今回の「コロンブス」のMVを観たときに差別的な表現だとは思わなかったんだ。

 

 

 

もっくんの謝罪文にも書いてある通り、類人猿が登場することで差別的な表現に見えてしまう恐れがあるという懸念は感じていたそうだから、そう思わせないように表現されていたように思う。

 

 

 

もっくんはあくまで「コロンブスの卵」からインスピレーションを受けて歌詞を書いたり、楽曲を制作したのだろうと思うんだ。

 

 

 

 

だけど、コロンブスという人物の世の中の認識が変わってきているということについての配慮不足だったのは事実なのだろう。

だからMVの公開停止という判断をしたのだろう。

 

 

 

でも、あのもっくんがそういう背景を知らないとは思えないんだよな。

一つ一つの作品を作るときにめちゃくちゃ背景も意識してるいるような気はするんだ。

だから曲名が「コロンブスの卵」ではなく「コロンブス」であることに何か大切な意味があるのだろう。

だから、コロンブスに対する両方の評価を知ったうえで曲名を「コロンブス」にしてるのは確かだと思うんだ。

 

 

 

だけど、あの映像を見た人が、ここまでセンシティブに反応をするとは想像できてなかったのかもしれないね。

そういう点に対しては配慮不足だったと猛省してるのだろう。

 

 

 

もっくんの伝えたいこととは違う解釈で伝わってしまったのだろうなと思うととても残念だ。

 

 

 

だけど、この経験から学んだことを活かし、これからはきっともっともーっと多くのことをリサーチし、多角的視点で考えてから楽曲を完成させていくようになると思う。

それが大森元貴という人だと私は思ってる。

 

 

 

これをきっかけにさらに大きく成長していくと私は信じて疑っていない。

 

 

 

 

私は今回は日本コカ・コーラに対してちょっとネガティブな感情を抱いてしまったわ。

日本コカ・コーラ広報部は「コカ・コーラ社はいかなる差別も容認しておりません」とし「今回の事態を遺憾に受け止めております。これは、我々が大切にしている価値とは異なるものです」とコメント。「本楽曲を使用したすべての広告素材の放映を停止させていただきました。また、ミュージックビデオの内容に関しては、弊社は事前に把握をしておりません」と説明した。

 

 

もちろん、大きな会社だし、日本だけの問題にとどまらなくなったら大変だし、上記のような判断にせざるを得ないのだろうとは思う。

 

 

 

でもさ、MVの内容に関しては内容を把握していなかったとしても、曲名が「コロンブス」なのだから、コロンブスという人物がしたことに対する懸念があったのだとしたら、曲名を聞いた時点で何か意見を言うことはできたのではないかな?と思うと、このMVの制作に携わった人全員の認識が甘かったということなのだろう。

 

 

 

 

それをもっくん一人の責任のように持っていくのは卑怯じゃないかなって思ってしまったんだ。

この1週間から10日くらいでコカ・コーラはめっちゃ売れたと思うんだよな。

それはミセスのおかげだと思うんだ。

まあ、それよりもこの炎上で大きな損害を被ることになってしまったのかもしれないけどさ。

 

 

 

しかし、こうなってしまったのであれば、真摯に受け止めるしかない。

 

 

 

 

ただ、私はコロンブスのMVを観たときに、歴史上の偉人に扮したミセスの3人が類人猿を教育しようとしてたというような差別的な解釈は全くしなかったんだ。

ただただ、楽しそうにしていたし、ただただワクワクしながら観ていた。

 

 

 

そりゃ、それぞれの個性も描かれていたから、「ん?」と思う部分も観る人によってはあるのだろうけど、そんなのどんな作品でも一緒だよね?

表現の自由はどうなってるんだ?

こういうことが起こるたびに思うけど、今の時代の表現者側って本当に大変。

 

 

 

これは完全に私の主観だけど、私はあのMVはめちゃくちゃお気に入りだったんだ。

すごく良かったのにな。

 

 

 

そもそもとして、類人猿と偉人たちの生きていた時代が全く違う。

だからこそ、私は最初に観たときにインスピレーションとして下記のように考えたんだ。

類人猿から人類に進化したきっかけはなんだったのか?

道具を使えるようになったからなのか?

脳の発達に伴い道具が使えるようになったのか?

類人猿から人類に進化したことは望んでたことなのか?

脳が発達し、今のような人間になったことは幸運だったのか否か?

 

 

 

そしてこのインスピレーションを基に、これからコロンブスのMVを何度も何度も観て考えをまとめてみようと思ってたんだ。

なので、公開停止になってしまったのは非常に非常に残念だ。

今後コロンブスという曲まで聴くことができなくなったり、ミセスが楽曲を披露することが出来なくなることがないように切に願っている。

 

 

 

本日のミュージックステーションで披露する予定だったのは取りやめになったようだ。

それも非常に残念だ。

 

 

 

 

最後に、もっくんがこのMVを通して伝えたかったことは何なのか?

コロンブスの歌詞と共に私なりに考えてみたんだ。

非常に難解な歌詞なんだけどさ。

 

 

 

もっくんが類人猿を下?に見るとかそういう考えを持ってる人ではない。

それは他の楽曲の歌詞や、普段の言動からそう確信できる。

そういう考えを持ってないからこそ、これを観た人がどう感じるのかまで推測することが出来なかったのかもしれない。

 

 

 

もっくんが伝えたいと思うことと、私が考えたことは同じではないかもしれないけど、私はこのMVを通して下記のようなことを考えたんだ。

 

 

 

私がもしも、500万年前、類人猿から新人類に進化をし始めた頃にタイムスリップ出来たとしたら、そしてそこで類人猿と意思の疎通を図ることが出来るとしたら、何を伝えたいだろう?と考えてみたんだ。

 

 

 

コロンブスの歌詞にこうあったからさ。

 

 

気まぐれにちょっと

寄り道をした500万年前

あの日もやっぱ君に言えなかった

 

 

 

私は

 

 

もしかしたら類人猿のままの方が幸せなのかも?

 

 

って伝えちゃうかもって考えたんだ。

 

 

 

類人猿は二足歩行できるようになって、脳も発達し、道具も使えるようになった。

猿よりは便利な生活が出来ていたと思うんだ。

道具の使い方を覚えて、物を作って、文明を発展させようとする過程で、仲間たちと協力し、毎日ワクワクしながら生活していたのではないかと思うんだ。

 

 

 

道具を使うようになって文明を発達させていくと同時に、個々の脳も発達していくよね。

そして人類に進化していく。

人類は、知恵がつき、喜怒哀楽という感情を抱き始める。

 

 

 

真面目に働く人もいれば、仲間を欺いたり、怠けたりするものもいる。

それが人間なんだろうけど、類人猿の時代に戻れるのなら類人猿のままの方が幸せなのかもしれないよな

なんてふと思ってしまったんだ。

 

 

 

もしも、知恵がつかなかったら、仲間たちと助け合って平和に暮らし、寿命を迎えることができるのかもしれない。

人間は感情が発達してしまったから、楽しい、嬉しいだけではなく、哀しみや怒りも沸く。

エゴという感情が出てきてしまったから、人間は戦争したり、殺人を犯したり、虐殺をしてしまったり、大きな罪を犯してしまった。

 

 

 

過去の悲惨な出来事は、現代を生きている私たちにとって無関係なことじゃない。

私たちだって、またそんな罪を犯してしまう可能性もある。

それって怖いことだなって思うんだ。

 

 

 

歴史は変えられないし、昔に戻ることも出来ない。

過去に犯した過ちについて罪の意識を感じながらも何もすることが出来ない。

ごめんねと謝ることも出来ない。

 

 

 

でも、この世に生まれてきてしまったのだから、生きていかないとならない。

悩み苦しみながらも今をどう生きていこうかなってことを、いつか僕が眠りにつく日まで自分に問いかけながら生きていく様を歌詞に込めているのかなって思ったんだ。

 

 

 

 

もっくんが考えていることは差別とは真逆なところにある!

と私は思ってる。

 

 

 

私は「コロンブス」という楽曲もめちゃくちゃ好きだ。

ライブで聴きたいぞ。