昨日の夜にこんなつぶやきをした。
昨日彼と話してたことについて今日も暇さえあればずっと考えてたんだ。
誰かの犠牲の上に成り立つユートピアって、本当にユートピアなの?
ユートピアを保つために誰かを犠牲にする必要ある?
そもそもユートピアって何?
万人がそう思えるユートピアって存在する?
誰かが犠牲になるくらいなら、ユートピアなんてなくても良くない?
ユートピアじゃなくても、一人一人が幸せだと思えてたら良いよね?
だからユートピアのために誰かを犠牲にしなくても良いよね?
ユートピアじゃなくても、幸せに生きていけるよね?
って思いがずっとぐるぐるしてるんだ。
日曜日に彼と話してたのは「オメラスから歩み去る人々」という本の内容についてなの。
私は読んだことはないので、もちろん内容も知らなかった。
彼も読んだことはなかったらしいのだけど、西島秀俊さん主演の「MOZU」というドラマの中で、長谷川博己さん演じる狂気の犯罪者が西島さん演じる主人公に投げかけてた言葉の中で引用されてたんだって。
で、彼がネット検索してこの記事を見せてくれたんだ。
美しい街並みに、穏やかな気候、明るく、しかし単純ではない人々、またそこに身分の上下はなく、芸術や学問も高みに達しているとされる。かと言って、いわゆる反テクノロジー的な、あるいは禁欲的な世界というわけでもない。
オメラスは心やましさのない、読者の想像する理想郷なのである。
こうも完璧な理想郷であるオメラスだが、実はこれは、ある契約に基づいたものである。それが何者との契約なのかは語られないが、人々の幸福の代償に、オメラスのとある建物の地下室には、知的障害児であるとされる一人の子どもが閉じ込められている。
部屋には窓もなければトイレもなく、子どもはしょっちゅう排泄物の上に座るので、尻やふとももは腫れて膿みただれている。
子どもは大体ぼんやりと座っているが、自分の両親や、外の生活のことも知っているので、時には「おとなしくするから、出してちょうだい。おとなしくするから!」と叫ぶ。
しかし誰もそれに答えない。
それどころかこの子どもにひとことの優しい言葉さえかけてはならない。
さもないと、オメラスの幸福は全て失われる、というのが「契約」なのである。
オメラスの住人は、物事が理解できる頃になると皆このことを知らされる。そのわけを全員が理解しているわけではないが、とにかく、彼らの幸福や健康、豊作と温和な気候までが、すべてこのひとりの子どものおぞましい不幸におぶさっていることだけは、みんなが知っている。最初は誰もがショックを受けるが、やがて、その現実を受け入れるようになる。
しかし、この閉じ込められた子どものことを知らされ、その姿を見た後、まれに、オメラスから姿を消してしまう人々がいる。その人々は、この子のことを知った直後、あるいは、それから何年も経ったある夜、身の回りのものだけを持って、静かに、オメラスから歩み去っていく。
オメラスの周りには、一面の荒野が続いていて、そこを去る人々がどこへ向かうのかはわからないが、彼らは、自分の行く先を知っているかのように、確かな足取りで、この国を去っていく。
検索してたら下記の記事がヒットしたのでリンクを張らせていただきました。
MOZUでの「オメラスから歩み去る人々」を引用したセリフは下記だったみたいだ。
MOZU season 1 百舌の叫ぶ夜 2 幻の翼
《 東和夫 オメラス 台詞 完全全文 》
原作:ル=グウィン 作品名:風の十二方位
「オメラスから歩み去る人々」より。
MOZU season1 百舌の叫ぶ夜 〆 9話
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オメラスって知っているか?
ある小説に出てくる理想郷のことだ。
オメラスは、自然に恵まれ、独裁者もいなければ、身分制度もない。
誰もが、何不自由なく暮らしている、幸せな街だ。
ところが、その街のどこかに、光の届かない、固く閉ざされた地下室があった。
まるで下水道のようなその地下室に、1人の子供が、ずーっと閉じ込められている。
その子は、ろくな食べ物も与えられず、身体は汚物にまみれ、ずーっとみじめな生活を送っている。
実は、その子の存在を、オメラスね住民たちは、全員知っていた。
だが、誰も助けようとはしなかった。
なぜなら、その子を閉じ込めておくことが、理想郷が保たれる条件だったからだ。
オメラスの全ての幸せや美しい自然は、その子の犠牲の上に保たれていると、みんなが理解していた。
たった1人の子供を、地下室に閉じ込めておくことで、他の全ての人々が幸せに暮らせるならと、住民達は見て見ぬふりをしているんだ。
同じだろ?今のこの世の中とオメラスは。
国家という体制を維持する為に、くさいものに蓋をする。
そして子供を閉じ込めた地下室の門番。
それが公安なんだよ。
それが真実だ。
そうやってこの国は秩序を保っているんだ。
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MOZU season2 幻の翼 〆 2話
実はあの話には続きがあるんだ。
オメラスの人々は、あるタイミングで、地下室の悲惨な子供の全てを知り、その事実にショックを受ける。
だが、何千何万の人の幸福を投げ捨てていいのだろうか。
オメラスに住む人々の幸せと、地下室の子供一人の幸せを天秤にかけ、次第に事実を受け入れ、彼らの涙も乾いていく。
だが、その中には、黙りこんで塞ぎこんでしまう人間もいた。
彼ら少数派ね人々は、一人で美しい門を出でくぐって、オメラスの都の外に出ていく。
そして二度とオメラスに戻ることはない。
倉木…、門を出でオメラスを見たとき、一体何を思うと思う?
俺は分かったんだ。
理想郷をぶち壊し、偽りの秩序を乱すのが、俺の使命だってことにな。
えーーーー
私は一歩間違えると狂気に満ちた犯罪者になってしまうのかもしれない。
正義って難しい。
自分が正しいと思っていることが正解とは限らないもんね。
自分の信念を突き通そうとしているとき、裏では誰かが傷ついていることもある。
私の幸せも誰かの不幸せのもとに成り立っている可能性もあるってことだよね。
それを知ってしまったとき、見て見ぬふりをするのは私には難しい。
ただ、私が何かを決断したことで、彼や息子が傷ついたり、辛い思いをするのは避けたい。
でもそれは、私が私の大切な人を守ったとき、私と接点のない誰かが傷ついてしまうかもしれないってことなんだよな。
誰もが幸せな世の中に向かうようにするには、一人一人がどういう考えで、どういう行動をすれば良いのだろうね?
難しいね。
そこには正解はないのだろうしね。
だけど、一人一人が、今の自分を幸せだと思えていれば誰もが幸せな世の中には近づけるよね。
幸せだと思えるようになることはできる気がするの。
一人一人生活環境や、家族構成や、職業や、価値観や色んなものが違っていても、一人一人が自分は幸せだと思えていたら、そこは「誰もが幸せな世界」ということなのではないかと思うんだ。
他人から見たら幸せに思えなくても、本人が幸せだと思えていたら、それは本人にとっては幸せだよね?
と考えると、要は心の持ちようってことなのかもしれないよね。
理想郷なんてなくても、一人一人が幸せだと思えるような心を持てていたら、幸福度の高い世界は作れる。
自分の心の持ちよう次第だもんね。
一人一人が自分という人間を信じられていたら、自分は幸せになるんだと信じていられたら、幸福度の高い世界に近づける気がする。
自分を信じる
自分は幸せだと思える
ようになるには、自分の心を安定させることが必要なのかな。
自分の心が安定していたら、他者を思いやることもできる気がするんだ。
一人一人が自分を大切にし、自分は幸せだと思い、他者にも幸せになって欲しいと願いながら行動することができたら、その世界は幸福で満ちていけるよね?
自分を大切にできる人は
他者のことも大切にできるもん。
だって
他者を不幸せにすることで自分の心が痛んでしまう。
自分の心が痛んでしまったら、自分が幸せとは思えなくなるから。
私はそう信じて疑ってないんだ。
ちなみに、この朗読も聞いたよ。