この記事は私が書いた記事の中でも定期的にアクセスを頂いてる方の記事なんだ。
久しぶりに読み返してみたら、書きたいことが浮かんできたの。
私は生きづらい大人予備軍の子どもを一人でも減らしたい。
だから、定期的に親と子どもについての記事も書いている。
直近ではこの辺りの記事がそうだね。
そして、生きづらい大人予備軍の子どもを減らすためにも、母親である女性、母親になるであろう女性が毎日楽しく生きるためのマインドを持ってほしいという思いから、恋愛についての記事も書いてるの。
パートナーシップが良好だったら、子育ても楽しく出来るはずだからさ。
もっともっと大きな目的は、大人子ども関係なく、生きづらいと思ってる人が減っていけばいいなって思ってる。
私は自分は親に恵まれなかったとは思ってはいない。
でも若い頃は思っていたんだ。
だけど、私の場合は経済的に恵まれてなかったことで、他人を羨んだり、妬んだりしてしまってたのだと思う。
私は自尊心が低い傾向にあったのだろう。
親には愛されて育ったとは思っている。
だから私は自分が大切に想う人たちには、無条件に愛を与えたいと思えるのかもしれない。
ただ、私の母は体が弱く、私の父は心が弱かった。
その影響で私の子ども時代は少し悲しい思い出があったのも事実だ。
私の母は私が小学6年生の時に脳梗塞で倒れ、そこからほぼ入院生活だった。
母は料理上手だったし、体が弱いのにいつも家の中は綺麗にしてくれてて、お布団も毎日干しておいてくれるような人だった。
だから私は兄弟の中で唯一の女子だったのに、家事は一切することなく、小学6年生までのほほんと暮らしてたんだ。
あ、それでも小学3年生から料理クラブに入ってて、クレープやホットケーキやドーナツやフルーツポンチのような簡単なお菓子を作るのは好きだった。
なので、私は元々料理が好きな遺伝子を受け継いでたんだろうね。
でも子どもの時は、自分が作りたくて作ってるだけであって、母の日常的な家事等のお手伝いをすることは一切なかった。
したいとも思わなかった。
母が入院をしてしまってからも、私は積極的に家事をしていたわけではない。
父は料理が出来る人だったので、ご飯も作ってくれてたし、洗濯も父がしてくれてた。
私は「勉強で忙しい」と言い訳をして、父の手伝いもすることはなかったの。
だから、父は母が亡くなったあと、自暴自棄になり、仕事も辞めて蒸発してしまったのかもしれないね。
父が心が弱い人であったことは間違いないし、子どもを置いて出て行くという父がしたことはとても罪深い。
だけど、父をそこまで追い詰めてしまったのは、協力的ではなかった私の責任でもあると今は思っている。
でもそれは大人になった私だから思うことであって、今、当時の私のような生活を強いられてる子どもがいるとしたら、その子どもたちを私は助けたいと思うし、そういう生活を強いている大人は罪深いことをしてると考える。
そういう大人のすることを私は肯定することは出来ない。
どんなに心が弱っていたとしても。
子どもは勝手にはこの世に誕生しない。
誕生させた大人が必ずいる。
だから、この世に誕生させたのであれば、大人は子どもが自立できるようになるまでは守る必要がある。
これは絶対だ。
子どもが手伝いをしないとか、言うことを聞かないからと言って、子どもを放置してもいいという理由にはならないし、子どもに暴言を吐いてもいいという理由にもならない。
暴力は論外だ。
どうしても育てられないのであれば、まずは子どもを安全な場所に託すなり、行政の力を借りるなり、何か行動をしてほしいと思っている。
育てられないのは仕方がない。
育てる能力がない大人の元で生活するのは子どもも辛いだろう。
だから、その場合は施設に預けるなりしてほしいんだ。
子どもはどっちにしても傷つくだろう。
でも、施設の職員の方に愛情をかけてもらえたら、その方が幸せかもしれない。
私は子どもを傷つける大人が一人でも減ってくれることを願っている。
子どもを傷つけるという行為は、身体的虐待や、育児放棄等のわかりやすいものではなくても、過保護過干渉という親が無自覚に子どもを支配してる場合においてもそう思ってしまう。
子どもは一人では生きていけないからか、防衛反応として空気を読むことが上手になるのかなと私は思っている。
もちろん、いつもにこにこ楽しい家庭で育ってる子どもは大人の態度や機嫌に敏感になるということはないだろう。
そうではなく、空気を読まないと自分自身がしんどくなると思う環境にいると空気を読むのが上手な子になる傾向が高いと感じるんだ。
そういう子は大人から見ると良い子だね。
空気を読みすぎる良い子はすでに自尊心や自己肯定感が低くなってる傾向が高い。
子どもの頃から自己肯定感が低くなっている子どもは成長していくにつれてもっと低くなっていく。
だって、大人は空気が読める良い子だと思ってるから、子どもが抱えてる心の問題には気付かないだろう。
なので、心に傷を抱えてるとも思わないだろうから、心のケアをしないことが多い。
自尊心や自己肯定感の低い子どもは思春期頃になると、悩みやすかったり、学校に行けなくなったり、原因不明の体調不良が出てきたりと少しずつ心がしんどいサインを出してくる。
そうなってしまってからだと、もう結構深く心が傷ついてるのではないかと私は推測する。
でも、家庭に問題があるとは親自身は認めないかもしれない。
親は不安定になってる子どもの心の原因には目もくれず
子どもが大事です。
子どもには幸せになって欲しいです。
なんてめちゃくちゃ心配して、より一層過保護過干渉を強めるだろう。
そして子どもは生きづらい大人へと成長してしまう。
私が心配になってしまう子どもは、上記のような子どもたちなんだ。
幸せな家庭で育ってると周囲からは思われるだろうから、子どもたちは自分の生きづらさを自分自身の問題だと思うだろう。
自分を責めてしまって、より一層心が傷つく。
この生きづらさの原因は何なのかわからないまま、生きづらい人生を過ごすことになってしまう。
そんなん考えただけでしんどいよ。
子どもは本来勝手に育っていくものだ。
安全な住環境と美味しい食事と生きていくのに最低限必要な知識を学ぶことが出来たら、あとは勝手に育っていく。
だから大人が心配だから、不安だからという理由で、必要以上に干渉しないであげて欲しいんだ。
私は子どもの時は結構自由にさせてもらってきた。
だからこそ、今それなりにしっかりしてるのだと思ってる。
なぜなら、「自由には責任が伴う」からだ。
過去にこんなことを書いている。
私は本当に自由に育てられたので、息子も自由にさせてるんだよね。
干渉されたことがないので、干渉する方法を知らないのかもしれない。
私の言うことを聞かなくても、危険が伴うことじゃなかったら何をしてもいいと思ってたし。
私だって、息子がこうだったらな、って望むことはあったの。
運動系の習い事をしてほしいな、塾に行ってほしいな、ゲームばかりしないでほしいな、とかね。
でもことごとくお断りをされたので、結局何も習い事はしてないし、家ではほとんどゲーム三昧だけど、まあ、それで息子が快適に楽しく暮らせるのであればいいかなって思ってる。
高校生になってからはしっかり勉強もしてるから、今はもう何も文句はないわ。
でも、こう考えられるのも親が自由にさせてくれてたからなんだろうな。
自分の選択に自信が持ててるの。
なので、息子の選択にも自信が持ててる。
息子も私に言われたからではなくて、息子の意志で選択したことなら私のせいには出来ないし、失敗したとしても息子が自分でお尻を拭くしかないもんね。
その責任を持って選択してるんだから偉いと思うのよ。
自由って快適だけど、責任を伴うからね。
自分で選択したことは、どんな結果になっても自分の責任。
良いことも悪いことも思い通りにならないことも、それを選択し行動したのが自分であれば、全て自分の責任。
誰かのせいじゃない。
その覚悟をもって自由に生きることって、案外難しいことなんだと思うの。
誰かのせいにした方が楽だからね。
その責任と覚悟を持てなくて、失敗したからって逃げ出してたら、それは単なる自分勝手になってしまう。
それは本当の自由ではない。
選択して行動した結果が、良くても悪くても、思い通りの結果でなくても、それを選択したのは自分なんだから、それは自分の責任だから、自由には重い責任が伴ってくる。
私は、その責任を持つことを条件に息子に自由を与えてるのよね。
これって意外としんどい時もあるのよね。
子供のこととなるとそりゃ心配にはなるからさ。
私が息子に自由を与えることにも重い責任が伴う。
息子がどんな選択をしても受け入れる覚悟は持ってる。
私も一緒に責任を負う覚悟も持ってる。
それが持てないと自由にはさせられないもんね。
そういう重い責任を伴う選択が出来るようになれたのも、息子を自由にさせる勇気と覚悟が持てたのも、親が小さいころから私に自由を与えてくれたからなんだと思ってるんだ。
だから、私は親に恵まれたんだなって思うんだよね。
息子もしっかりした子に育ってきたよ。
今でも冷や冷やさせられることはあるけど、きちんと大学も合格した。
大学の受験も一人で電車を乗り継いで行ってたし、毎回早めに試験会場に着くように電車の時間を調べてから、家を出ていた。
息子が受験した大学は4月の時点ではE判定のところばかりだったから、私はそれはそれは気が気ではなかったよ。
模試の成績も見せてくれなかったから、どこまで成績が上がったのか、結局今も良くわかっていない。
でも、無事に結果を出したので、頑張ってきたのでしょう。
親や大人が干渉しなくても子どもは自分で学んで、自分で成長していくよ。
危険なことも自分で学んでいく。
だから、大人は子どもに干渉しすぎないであげて欲しいんだ。
干渉しないようにするためにも、大人自身が自分の楽しみを見つけて、自分の人生を楽しんでいって欲しい。
それが子どもの幸せにも繋がるはずだから。
子どもには幸せで楽しい人生を送って欲しいよね?
私はどんな子どもでも平等に楽しい人生を送る権利はあると思ってる。
大人がしっかりと子どもを楽しい人生に導いてあげようよ。
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