私がブログを書き始めて3年目、彼とお付き合いをし始めたころ(2019年になったころ)から、私のブログについての批判記事らしきものを目にするようになったの。
ああいう記事を書く人たちはなぜか直接コメントはしてこない(当時はコメント欄を開けていた)で、自分のブログで批判的な内容のことを書くんだよね。
それがいわゆる感想文というやつなのかな?
しかもはっきりと誰とは書かないけど、書かれてる内容でなんとなくわかってしまうようなことを書くんだよね。
はっきりと誰の批判かがわかるように名指しで感想文?を書いてる人は、ぼかして書いてる人よりも潔いなって思う。
たとえば私が使った言葉をわざわざ強調してみたり、揚げ足取りのようなことを書いたり、嘲笑ってみたり、煽ってみたり。
まあ、私のことを嫌いな人が書いてるのだろうから、私が読んで良い印象を持つような書き方はしないよね。
今日の記事は私が経験したことと目にしたことを基に書いてるだけで、感情は入ってません。
そして誰のことも責めてはいません。
批判的な記事を書いてる人たちは同じことをする傾向があるのかなと思っただけなんだ。
上記の記事でこう書いた。
私のブログについての批判記事らしきものを目にするようになったの。
ああいう記事を書く人たちはなぜか直接コメントはしてこない(当時はコメント欄を開けていた)で、自分のブログで批判的な内容のことを書くんだよね。
私は過去に私のブログについての批判ブログを書かれてるのかなと思われる方に直接コメントをしたことがあったんだ。
最初にコメントしたときはお返事をいただけたのだけど、論点をずらされたのよね。
お返事の内容を見た瞬間に「論点をずらして、自分の正しさを主張してくる人なんだな」って思ったの。
論点をずらしてくる人とはまともに議論は出来ないなと思ったので、そういう人だと確信を持つことが出来たという点ではコメントをして良かったなと思ったんだ。
表現の仕方や言葉の選び方で何となく感じるものってあるよね。
文字だけでもその人の人となりは伝わってくる。
そのあとも批判ブログは続き、半年後くらいに「こうげきしません」というタイトルのブログを書かれたの。
私も反論記事や分析記事をたくさん書いたけどね。
おかげで良い心の勉強になったよ。
「こうげきしません」というタイトルのブログを読んで私は
事実ではないことで批判されてるぞ。
すごい妄想を膨らまして私が考えもしないようなことで批判されてるぞ。
と思ったので、またコメントをさせていただいたの。
性癖うんぬんとか書かれていたからさ。
私は絶対性癖の話なんてブログには書かないもん。
性癖ってなに?
性的嗜好のこと?
だとして、私にどんな性的嗜好があるのは、自分では理解していない。
だから絶対に私はそういう文章は書けないの。
セックスについてのことは書くよ。
セックスはパートナーとの大事なコミュニケーション方法だと考えてるからね。
私はセックスレスを経験してるので、だからこそ、セックスについても考えてる。
良好なパートナーシップを構築するためにはとても大切なコミュニケーション方法だと思ってる。
性的嗜好については書かないわ。
そもそも私の記事を全て読んでいない(有料記事で書いてたから購入者はわかる)のになぜ批判出来るのだろうという疑問もあったの。
それに有料記事で書いてるのだから「商品」として責任をもって書いてたの。
だから勝手に妄想されて、書いてもいないことで批判されるのは業務妨害でもあると思ったのよね。
コメントしたけど、私のそのコメントは批判コメントだと思われてしまったらしく削除されてしまった。
そういえば、過去にも反論記事を書いてたな。
読まないでと言われてるのにも関わらず読んでしまう
「こうげきしません」ってタイトルでブログをアップされてたの。
その人は私の特定のブログの内容を批判したいというわけではなかったのだろう(私が書くこと全て気に入らないみたいだったし)けど、私がセックスについて書いてたことにより、より攻撃性を増したのかもしれないね。
万人受けしない内容だし、デリケートな内容だし、嫌な人は嫌だし。
だけど、興味をそそられる分野だものね。
おかげさまでアクセス数は良かったの。
がしかし、私は性癖のことなんて書いてないけどね。
「REQU」で書いてた記事だったから最後まで全て読んでもいないのに、なぜ「性癖」って言葉が出てきたのか理解不能だったの。
性癖のことを書いてあると思い込んだのかな。
セックス=性癖
という思考のくせがある人なのかもしれないね。
でも、私はセックス=性癖という思考のくせは持っていないから、勝手に決めつけられて攻撃されるのは良い気分ではないなって思ったんだ。
まあ、性癖の概念も人それぞれなのだろうから、そこは読んだ人の判断なのだろうけど、私は「その記事をすべて読んでいないのに決めつけないで」って思いは大きかった。
全てを読んでからの批判なら「そっか、そう感じさせる表現だったんだな。気をつけよう」って思えるけどね。
そして、どこがそう思わせたのか分析して、次回に活かそうと思う。
けど、そうではなかったから、単なる私に対する批判なのかなって思ってしまったんだ。
それに苦手なら読まなければいいとも思った。
だって私のセックスについて書いた記事はタイトルに「セックス」って入れてたから。
まあ、その言葉自体が嫌な人もいるだろうけど、全てに配慮する文章なんて書けないもんな。
「こうげきしません」というタイトルだって私は嫌な気分になってしまったもの。
自分の意志で読んで、やっぱり不快な気分になってしまって、でもその記事は最後まで全て読んでもいないのに攻撃するのっておかしくない?って思ってしまったの。
私の記事を購入してくれて、読んでからの批判ならありがたいと思うんだけどね。
REQUには「商品」として出品してるからね。
その人がセックスについての記事が苦手なことは理解できた。
でも、だからって私のことを攻撃する理由は理解できなかったから、コメントをしたの。
削除されてしまったので、どんなコメントをしたのかは詳しくは覚えてはいないけど、私が矛盾を感じたことを「そこは矛盾してませんか?」って問いかけた内容だったと思う。
私のリブログ記事にはこう書いている。
私のブログの内容を否定されてるような気分に勝手になってしまった方に、思い切ってコメントをしました。
感情的なコメントだと感じられたようで削除をされてしまった(私としては矛盾を感じたことを問いかけたまでなのですが、そう思わせてしまったのであれば、申し訳ありません。)けど、私の勘違いだったみたいです。
良かった。
勝手にそう思ってコメントしてしまい大変失礼しました。
違うと言うことなのですが、念のため書き加えさせて頂きます。
私が書く内容を不快だと感じる方がいるのは承知しています。
人それぞれ考え方が違うので仕方がないと思いつつも、出来るだけそうはならないように気をつけてはいます。
今後ももっと配慮をしていきたいと思います。
私なりに考えて発信はしています。
その内容には責任も持っています。
記事の内容による反応の違いを知りたいって思いは確かにあり、どんな記事で反応が大きくなるのかを確認しながら書いているので、はっきりとした表現が含まれることもあります。
反応を確認したいのは、個人的な興味ですし、私の楽しみ方でもあります。
私なりに気をつけますし、件名でも内容が推測できるようにしていきたいとも思います。
お見苦しいと感じる内容の時は、恐れ入りますが読まないで頂けると非常にありがたいです。
でね、このブログをアップした後にその人の「こうげきしません」のタイトルのブログには「読むなというなら目につくところで書かないでほしい。私は不快でした」(書かれた内容はちょっと違うかも。でもこんなニュアンスのことを書かれてた)書き加えられてたの。
それで、やっぱり私への攻撃だったんじゃんって確信したんだ。
あ、その追記した文章はすぐに削除されてたけどね。
でも私は見てしまったんだよね。
というか「目につくところで書かないで」ってだいぶ自己中心的な意見だよね。
私は自分が書きたいようにブログを書いてはいけないの?
でね、このリブログ記事を読んだことは間違いないし、私を快く思ってないのも間違いないのに、その後も私のブログを読み続けてくれてるの。
「読まないで」って書いたのに。
お見苦しくないから読んでくれてるのかな。
だとしたらもう批判はしないよね。
って思ったのに、批判は続いた。
自分で誰でも読めるところに書いてるのに、批判されたからって怒るのは変なの。
価値観は人それぞれなのに。
と言うその人の意見は理解しようと努力はするけど
私は「不快に思うなら読まないで」と書いたにも関わらず、読んでくれてそして批判する。
そのことは理解できなかった。
それに私は書いてもいないことで批判されたり、批判の内容に矛盾点があるから指摘したのであって、批判すること自体を否定しているわけではいない。
批判の内容に納得したら、考えを改めるもの。
納得したらね。
文章を全て読んでもいないのに批判してるし、批判の内容に矛盾点があるし、もはや「批判したいから読むんじゃないの?」とすら思ってしまう。
私はその人のブログを読んでるよ。
楽しく読ませていただいてる。
次はどんなことを書いてくれるのだろうとわくわくしながら読んでいる。
これは私の意志で読んでいる。
なので、批判があった時は「おー、今度はこういう風な批判になったのね」って思う。
まあ、もうなんとなくその人の考えることは想像できるので「また自分に嘘をついてるよ」って思うようになってしまったけど。
今はそこは痛々しくすら感じてしまう。
何とか、楽しむことを考えるようになってくれないかなという思いでブログを書いてるのだけど、自分が変わろうと思えないと変われないからね。
もう変われない人なのかもなとも思ってしまってる。
私の書いてる内容に全ての人が同意するなんてそんなの不可能。
そんなつもりでは書いていない。
ただ、私は自分が今めっちゃ楽しく生きられてるし、息子とも彼とも関係が良好で本当に毎日楽しくって仕方がないの。
なので、こう考えたら楽しくなれるかもしれないよという思いを込めてブログを書いている。
でも、人生が辛く感じてる人にはムカつく内容だよね。
鼻につくよね。
だから、批判したい人がいるのも理解できる。
それはその人の考え方であって仕方ないのかもしれないけど、そういう人たちすべてに配慮していたら私は書きたいことを書けなくなる。
私はブログを書くことが好きなんだもの。
記録にもなるしね。
批判する人は、批判も自分の意見なんだから書くのは自由と言うけれど、私が私の考えを書くことも自由だよね。
それがその人が嫌いな性についてのことだとしても。
批判する人はその批判も含め自分の価値観は当然尊重されるべきと思ってるのに、私の価値観は一切尊重されないの。
それはその人にとって変なことではないのかな。
自分の批判的に考えてしまう価値観は尊重されるべきで、自分が理解できない価値観を持ってる人の意見は尊重出来ない。
それって変じゃない?
つまりは「自分さえ良ければいい」ってことじゃんって思ってしまうの。
自分が嫌な気分になったことを表に出してすっきりしたら、それを受け止めて嫌な気分になった人がいても気にしない。
自分を嫌な気持ちにさせた方が悪いってことだよね?
全然価値観は人それぞれなんて思ってないじゃん。
自分の価値観しか受け入れられてないじゃん。
私は自分の思いを書いてるだけであって、誰かを傷つけたいわけではない。
私なりに精一杯配慮して書いている。
でも、全てに配慮することは難しいし、出来ない。
だから、私のブログを読んで傷つきそうな人は読まないでって思うから「読まないで」って書いたのに読んでいる。
どうしても読みたいのね。
でも、私が反応するのは嫌なのね。
この記事を書く前から私は機会があれば「読んで不快になるなら読まないでほしい」と書いている。
でも、その人に関わらず、不快に思うけど読んでくれる人はいる。
そういえば、ナリくんのブログでも、ナリくんが「では、なぜ読んだの?」と問いかけたら、相手はブロックしちゃったみたいだね。
私もコメントをしたら削除されてしまったし、自分が矛盾したことをしてるということは理解してるということなのかな。
でも、それは認めたくないのかしら。
だから、問いかけに答えることもせずに逃げる。
で、自分の意志で読んだのにも関わらず、やっぱり傷ついて、私にムカッとくるのって自分勝手なことではないのかな。
傷つくとわかってて読んだのに、それは自分の意思なのに、やっぱり読む。
そして私にイラつく。
それを繰り返してて何が楽しいの?
自分が楽しくないことをわざわざ選択してる。
だから私は最近はその人は常に怒っていたい人なのかなって思ってるんだ。
大変、疲れる人生なんだろうなって思ってる。
自分の考え方次第で楽しくなれるのに。
楽しい。
嬉しい。
幸せ。
って堂々ということは出来ないのに
むかつく。
イラつく。
意味わかんねー。
嫌い。
許せない。
って批判は堂々と出来る。
確かに、プラス感情より、マイナス感情の方が声に出しやすいのかもしれない。
もしかしたら、私のブログをずっと読んでくれてるということは、私のブログに楽しい要素も見出してくれてるってことなのかな。
批判したいから読んでるのではなくて、楽しみにしてるから読んでくれてる。
つまりは私のブログが好きってことかしら?
そう思ってくれてるなら嬉しい。
そして、いつもこんな私のブログを読んでくださってるみなさま。
ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
私は以前からブログを書く目的には、将来のお仕事を視野に入れてたんだ。
いつかブログを書くことで利益に繋がればいいなって思ってた。
だからREQUでも記事を書いてたんだ。
ようやく本気で仕事が出来るようになった。
まだそれで生活は出来ないけど。
自分のブログ内で私の批判記事は書けるのに、私のコメントは削除しちゃう。
嫌いな人からのコメントは全て批判だとみなされてしまうのかしらね?
批判する人はその批判も含め自分の価値観は当然尊重されるべきだと思ってるのに、私のコメントは批判だと思われ削除されてしまった。
私の価値観は一切尊重されてないよね。
私は批判したつもりはないんだ。
矛盾点を指摘しただけ。
だからその指摘に答えていただくだけで良かったの。
正々堂々と意見交換をしたかっただけなんだ。
都合が悪くなるとすぐに逃げる。
でも自分のブログでは批判を書き続ける。
自分のブログのアクセス数をあげたいからそうしてるの?
発信者にコメントをすると発信者のアクセス数が増えてしまうものね。
だからコメントではなく、自分の記事で批判を書くのかな?
それとも批判してるという自覚があるからにコメントをする勇気が出せないの?
批判してる自覚があるから、私からのコメントは削除してしまったのかな。
そんなことを考えてたんだ。
最近、コメント欄を閉じてる人を揶揄して自分はコメント欄はオープンにしてると豪語してたけど、自分の意に沿わないコメントは削除してる人を偶然見かけてしまったのよね。
だから批判的な人は同じことをする傾向にあるのかなって思ったの。
結局は自分が一番正しいと思ってるんだろうな。
だから反論は受け付られないのだろうな。
反論は全て批判だと捉えてしまうのかな。
そんなことを考えたんだ。
そんな時にナリ心理学のこの記事を読んだんだ。
面白かったよ。
「私は正しい病」の患者さんは自覚はないみたいだどね。
だけど、愛情に飢えてるから慕われると嬉しいらしいよ。
いろんな意見を受け入れて、いろんな視点で物事を考えられたほうが、きっと毎日楽しく生活できる。
だから、今は私のブログを読まないでほしいなんて思ってないよ。
たくさんの人に読んでもらいたい。
本当に読んでもらいたい。
共感してくれなくてもいい。
だけど、何かしらあなたの心に響いてくれたら嬉しいなと思って書いてる。
どうせなら、批判ばかり考えるのではなく、毎日楽しく生きていきたいじゃん!
ここまで読んでくれた人はお友達登録してね。
今日は金曜日だから私はビールを飲むよ🍻
私も飲むよーという人もお友達してね。
登録したよという印にスタンプやメッセージを送ってくれると嬉しい。
質問も受け付けてるよ。