これまで双極性障害については告知をしていませんでしたが、なんとなくの感覚で自分の気分のアップダウンには気づいていた長男。
躁状態の時は、イライラするけれど気分が良くて、勢いのままにいろんなことをしてしまうと自覚がありました。
そんな時に不穏時の頓服薬を服用すると、衝動を抑えることができるというのも肌感覚として分かっているんだそう。
けれども、薬の効果で行動を抑えることができても、それは『負け』だから!と主張します。
負け?
どういうことなのか、もう少し詳しく聞いてみたら、薬の影響で行動が改善できたとしても、それは自分の力ではないから『負け』になる……と受け止めているらしいことが判明しました
うーん、『負け』かぁ……
「それじゃあさ、その気分の良さに乗っかって、何か言った時のことを思い出してみて」
「……うん」
「その時に思ったことを、他の気分の時にも同じように感じたりしてるかな?」
「……」
あの時はこうだった、また別の時はこんなことを言ってしまった……と、不穏時の失敗を振り返りながら、自分の気持ちの動きを確認してもらうと、躁状態になっている時に感じることは、必ずしも自分の本心と一致としていないかも、と気づくことができました。
「それなら、一時期の気持ちの波に飲み込まれて、流されていっちゃうよりも、普段の自分に一番近い場所にとどまっているのが良いんじゃないかな?」
「……」
「ドクター・マルコム(長男の主治医)に教えてもらったんだけど、気分のアップダウンが激しすぎるのを、真ん中に整えることを目指していくのが良いんだって」
「出してもらっている薬は、その上下を真ん中に落ち着かせる助けをしてくれるんだって」
この話をしてから、なんと長男、不穏時の頓服薬を持ち歩くことを納得して、同意してくれました!
これまでは
頓服の服薬=負け
と思っていたので、どうにも嫌だったみたいなのですが、頓服に対する見方が少し変わって
先日の、列の横入りで揉めたときのように、勢いだけで暴走して失敗しそうなときに、薬を服薬することで失敗を回避できるのなら、それも悪いことではないかも……と思えるようになったみたいです
この会話自体、長く長男の記憶に残っているか微妙なところですが、こういう小さいことの積み重ねが、いつか違いを生むと期待しています